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明治太政官制成立過程に関する研究 2 55軍にとって天皇は,太政官制下においても独立した存在としての大元帥であった。天皇が軍の大元帥であること自体,軍政の独立を意味するものであった。しかし,軍政に関して,....

明治太政官制成立過程に関する研究 2 55軍にとって天皇は,太政官制下においても独立した存在としての大元帥であった。天皇が軍の大元帥であること自体,軍政の独立を意味するものであった。しかし,軍政に関して,軍外の部局が如何に関与するかについて文官から異議があったが,武官の見解を変えるに至らなかった。井上毅が危惧した様に,軍は軍全体を一つの軍衙と見なし,これを聖域として文官の関与を排除する事となったが,その事は憲法制定以前の日本においても,君主親裁を前提とした日本の国体として当然であった。軍令のみならず陸海軍省全体が政府から独立し,天皇の下で統帥されるという軍の見解に根拠を与えたものは,行論のように一定の根拠があった。要説するとそれは以下の諸項である。1. 明治2年の太政官職制以降,機務事項は直接天皇に上奏し,太政官を通さない慣例があった。2. 武官登用制度はすでに維新直後から整備されていた。また武官任用試験制度は文官任用試験制度より10年以上早く成立していた。3. 武官官吏等級表が文官官吏等級表から分かれて,明治5年から明治6年にかけて独自の等級表となった。4. 武官の勅任官,奏任官の数が文官に比べて圧倒的に多く,予算額でも,幹部人員数でも貧弱な他省の関与を,軍は排除する力を有した。5. 陸海軍(卿/ 大臣)の長は他の省(卿/ 大臣)と同格とは言えず,しかも,内閣総理大臣は国務大臣と同格であった。憲法制定以降の内閣官制において,軍令は内閣総理大臣の副署も不要となった。その結果,内閣の中で軍が聖域化,独立する事は必然的な帰結であった。6. 軍高官は徴兵令制定以降,大量に動員される軍人の指導者であり,しかも命をかけて国家を護持する軍高官は戦争の度に称賛され,叙勲によって死しても名誉となった。彼らは,政争や汚職を行う文官高官とは比較にならない,大衆から支持される特殊公務員であった。7. 天皇は陸軍の進言により,明治初年から,宮中内外において常に軍服を着用し,陸海軍武官官吏等級表最上位の大元帥であった。親王も大元帥に次ぐ地位を与えられた。従って,同じ親任官,勅任官と雖も文官と武