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57高知論叢(社会科学)第103号 2012年3 月 論 説古典派からマルクスへの転回頭   川     博  はしがき 問題の所在1 労働力商品の含意2 古典派と剰余労働3 剰余労働=超歴史説と単純流通むすびは....

57高知論叢(社会科学)第103号 2012年3 月 論 説古典派からマルクスへの転回頭   川     博  はしがき 問題の所在1 労働力商品の含意2 古典派と剰余労働3 剰余労働=超歴史説と単純流通むすびはしがき―問題の所在マルクスが労働と労働力との区別によって古典派をのりこえ,剰余価値論を完成した功績はひろくしられている。しかし,独立生産者の蓄積財源をつくる労働支出をもって即剰余労働とみなすならば,労働力商品のもつ独自な歴史性が無視されるというおとし穴におちいる。というのも,蓄積財源をつくる労働支出を剰余労働とかんがえれば,独立生産者は,賃労働者と同様,剰余価値をうみだすことになるからである。マルクスによれば,労働力商品が資本主義にのみ存在するのとおなじに,剰余労働は,生産条件から引き離された労働力の独特な創造物としてなりたつ。蓄積財源をつくる労働がそのまま剰余労働だという観念は,まさしく古典派経済学のそれである。つまり,蓄積財源をつくる労働を剰余労働と同一視する考えは,剰余労働がじつは資本家による生産条件の排他的な所有の所産だというマルクスの思想の対立物にほかならない。労働生産性が増進すれば剰余労働がうまれるという立場は,文字どおり,マルクスの古典派へのあともどりをいみする。ところが,先行研究の一部にあっては,