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58 高知論叢 第103号蓄積財源をつくる労働と剰余労働の同一視が,古典派への逆転だという認識にうすい。さらに,一歩ふみこめば,蓄積財源をつくる労働と剰余労働との混同は,資本の基礎としての単純流通を独立生産....

58 高知論叢 第103号蓄積財源をつくる労働と剰余労働の同一視が,古典派への逆転だという認識にうすい。さらに,一歩ふみこめば,蓄積財源をつくる労働と剰余労働との混同は,資本の基礎としての単純流通を独立生産者どうしのあいだの商品交換とみあやまらせる。けだし,さしあたり単純流通と資本主義との差異を労働力商品の有無におき,労働生産物である商品が労働力におきかわれば,そこに賃労働者による剰余価値生産が自動的になりたつことになるからである。ここから,『資本論』第Ⅰ巻第1篇では,理論上自営業者の交換取引が分析対象として設定され,第2篇以降で労働力商品が登場し剰余価値生産が説明されるという見方がうまれる。その点で,いわば剰余労働=超歴史説は,第1篇の単純流通を小商品生産者間の交換関係とみなす伝統的な説と不可分なつながりにある。自営業者による商品生産を起点にして剰余価値生産をといたのは,スミスをはじめとする古典派である。資本は,剰余価値をうむ価値4 4 をなし,生産物をつくる要素はすべて流通から商品として生産行為にはいるため,第Ⅰ巻第1篇にあっては,労働力をふくむ全面的に発展した単純流通から分析がはじまる。といっても,第1篇では,労働生産物から労働力商品のもつ使用価値と価値の独自性を区別する必要性は存在しないため,労働生産物の商品だけが分析対象になる。だから,そうじて,商品としての労働力をその使用である労働から区別する一方,蓄積財源をつくる労働を剰余労働と同一視した場合,生産条件の排他的所有の所産としての剰余労働と単純流通との双方のとりちがえがうまれ,古典派へと逆回転するはめになる。おもうに,古典派への回帰の一大原因は,剰余価値をうむ価値と規定される資本の概念の未消化にある。なぜなら,マルクスの資本概念によれば,剰余価値をうむ主体は,価値そのものだからである。剰余価値は,労働力に投下された価値4 4 の自己増殖分である。つまり,自営業者のような価値の前貸のない労働力から,剰余価値は創造されない。ここで,剰余価値が生まれない根拠は,蓄積財源をつくる労働も生産条件を所有する労働者の再生産のための必要労働を構成するからである。それゆえ,本稿の課題は,剰余労働が対立的所有関係そのものの産物だという立場から,剰余労働と単純流通にかんする一部先行説には,『資本論』から