103号

103号 page 65/154

電子ブックを開く

このページは 103号 の電子ブックに掲載されている65ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
古典派からマルクスへの転回59古典派経済学への後退がある事実を指摘する1)。1) 『資本論』が古典派をこえる最大の功績は,抽象的人間労働と剰余労働双方の特殊歴史性の発見にある。くわしくは,拙著『資本と貧....

古典派からマルクスへの転回59古典派経済学への後退がある事実を指摘する1)。1) 『資本論』が古典派をこえる最大の功績は,抽象的人間労働と剰余労働双方の特殊歴史性の発見にある。くわしくは,拙著『資本と貧困』八朔社,2010年を参照されたい。なお,『資本論』とメガの訳文は,大月書店の『マルクス・エンゲルス全集』と『資本論草稿集』によった。1 労働力商品の含意商品としての労働と労働力の区別は,古典派とマルクスを決定的にわかつ分水嶺である。労働者が資本家に商品として販売するのは,古典派のいう労働そのものではなく,その源泉の労働力である。「価値形成要素そのものとしての労働は価値をもちえない。」(Kapital, Ⅱ, S. 35)労働者が労働の価値1)をうけとると仮定すれば,全労働成果が労働者に帰属することになり,資本家のポケットにはいる剰余価値の説明がつかなくなる。古典派が労働をもって商品とみなす一方,労働の価値を労働者の生活費で規定する論法は,文字どおり自己撞着にほかならない2)。そのため,「リカード学派は1830年ごろ剰余価値にぶつかって難破した。」(Ibid., S. 25)しかし,労働力の概念は,それが特定の労働生産性のもとで超歴史的に剰余労働を支出する属性をもつことをいみしない。換言すれば,いわば超体制的に存在する蓄積財源をつくる労働は,同時に剰余労働ではない。けだし,生産条件を所有する独立生産者は,蓄積財源をうみだすが,剰余労働を支出しないからである。「商品所持者は彼の労働によって価値を形成することはできるが,しかし,自分を増殖する価値を形成することはできない。彼がある商品の価値を高くすることができるのは,現にある価値に新たな労働によって新たな価値を付加することによってであり,たとえば,革で長靴をつくることによってである。同じ素材が今ではより多くの価値をもつというのは,それがより大きな労働量を含んでいるからである。それゆえ,長靴は革よりも多くの価値をもっているが,しかし革の価値は元のままである。革は自分の価値を増殖したのではなく,長