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62 高知論叢 第103号2 古典派と剰余労働前節で,労働力商品の意義は,価値法則との整合性のみならず,剰余労働の生成に作用する対立的な所有関係を内蔵する点にもあることを説明した。本節では,労働力商品の販売....

62 高知論叢 第103号2 古典派と剰余労働前節で,労働力商品の意義は,価値法則との整合性のみならず,剰余労働の生成に作用する対立的な所有関係を内蔵する点にもあることを説明した。本節では,労働力商品の販売をみとめながらも,蓄積財源をうむ労働を即剰余労働とみなす一部の根づよい主張は,古典派経済学への逆流であるゆえんをとく。スミスによれば,初期未開の社会は,自給自足の体制をなし,蓄積財源を生産しない。ところが,人間のもつ自然の性向である商品交換によって社会的分業が深化してゆく。けだし,自分の得意な生産活動の余剰部分の交換による方が,自家生産よりも自己の利益になるからである。一方,その分業がなりたつ先行条件には,生産財や消費財からなるストックの蓄積がある。なぜなら,自分のつくった商品が売れるまでは,蓄積されたストックの消費を余儀なくされるためである。したがって,ストックの蓄積を物的な基礎としつつ,商品交換になかだちされて,スミスのいう分業が成立する。こうして,商品交換の発展とともに分業も本格的に発展すれば,蓄積財源の生産もさらに増進し,蓄積財源に実をむすんだ剰余労働は一般にひろく剰余価値にあらわされることになる。だから,スミスにとっては,商品交換の本格化は,同時に剰余価値の生成をいみする。その結果,スミスのばあい,社会的分業を構成する独立生産者どうしの単純な商品生産と資本主義1)との本質的な区別がつかなくなる。けだし,小商品生産者自身,賃労働者とおなじように,剰余価値をうみだすからである。スミスにおいて,たんなる商品生産と資本主義的生産が混同される理由は,ここにある。「アダム・スミスは,商品生産一般を資本主義的生産と同一視している。2)」(Kapital, Ⅱ, S. 387)これまでに,スミスは,蓄積財源をつくる労働をもって,直接,剰余価値の実体としての剰余労働と等号(=)でむすびあわせる事実をたしかめた。『資本論』にあっては,蓄積財源をつくる労働は,超歴史的な労働過程の次元に属する一方,剰余労働は,価値増殖過程に固有に帰属する。したがって,マルクスにならって労働力商品の販売をみとめたとしても,蓄積財源をうむ労働を無媒