103号

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古典派からマルクスへの転回67で自分を扶養したりするのにたりるよりも多くの資財を獲得したばあいには,その仕事によって利潤をあげるために,かれはこの剰余で自然に一人またはそれ以上の日雇職人を雇用する。この....

古典派からマルクスへの転回67で自分を扶養したりするのにたりるよりも多くの資財を獲得したばあいには,その仕事によって利潤をあげるために,かれはこの剰余で自然に一人またはそれ以上の日雇職人を雇用する。この剰余が増加すれば,かれは自然に自分の日雇職人の数を増加させるであろう。」(前掲『諸国民の富』Ⅰ,71[原]ページ)そのいみでは,単純流通の従来説は,剰余価値創造を包含する小商品生産に資本主義の原型をもとめる古典派の議論の改版とみなして大過ない。1) 「資本主義体制では,直接的使用価値のための,生産者たちの自家使用のための生産は最も完全に廃止されて(いる)。」(Kapital, Ⅲ, S. 589)2) 「資本主義時代を特徴づけるものは,労働力が労働者自身にとって彼のもっている商品という形態をとっており,したがって彼の労働が賃労働という形態をとっているということである。他方,この瞬間からはじめて労働生産物の商品形態が一般化されるのである。」(Ibid.,Ⅰ, S. 184)3) 「商品生産と商品流通は資本主義的生産様式の一般的前提なのだ。」(Ibid., S. 374)4) 価値こそ資本の構成要素をなし剰余価値をうむ主体だから,商品流通のなかでなければ,資本はなりたたず,剰余価値はうまれない。つまり,商品流通は,剰余価値をうむ主体である価値の運動部面だから,まずもって,資本は,流通から発生しなければならないという一命題が成立する。「資本は4 4 4 4,流通のなかで発生しなけれ4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4ばならない4 4 4 4 4 と同時に流通のなかで発生してはならない。」(Ibid., S. 180,圏点 頭川)『資本論』第Ⅰ巻第2篇第4章第1節「資本の一般的定式」のテーマはここにある。第4章第3節「労働力の売買」では,労働力商品を媒介にして,剰余価値生産の前提として貨幣の資本への転化を結論する。けだし,労働力は,価値の源泉としてそれよりもおおきな価値をうむ可能性を内包するため,貨幣は,流通上で,資本へ可能的に転化するからである。第2篇第4章の表題が「貨幣の資本への転化」であるゆえんである。生産過程で剰余価値がうまれるのは,まえもって貨幣が可能4 4的に4 4 よりおおきな価値をうむ資本だからである。まさに,資本から剰余価値がうまれる。剰余価値生産によって,貨幣は現実的に4 4 4 4 資本へ転化することになる。「資本による絶対的剰余価値4 4 4 4 4 4 4 の創造」(Grundrisse, MEGA, Ⅱ/1・2, S. 320,圏点 マルクス)という表現が明示するとおり,第3篇表題「絶対的剰余価値の生産」は,資4本による4 4 4 4 絶対的剰余価値の生産であることに注意してよい。5) 「われわれは商品を取り扱うが,それは,われわれが資本主義的生産の最も単純な要素としてのそれから出発するということによってである。」(MEGA, Ⅱ/3・4, S.1302)『資本論』が商品の分析からはじまるのは,資本が価値からなりたつからである。資本主義にあって,商品は,価値をもつ富の基本形態である。6) 等価交換によらない「搾取の数学的証明」は,本質上,商品価値を前提しないで剰余労働をとく点で,重農学説とおなじ論理的な飛躍をふくむ。