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明治太政官制成立過程に関する研究 2 3代的な官僚組織を作り上げた。その意味で明治維新は,官僚による官僚のための革命であったと言えよう。下級官僚は天皇親裁を支える太だ政じょう官かん制せいと称する国家統治....

明治太政官制成立過程に関する研究 2 3代的な官僚組織を作り上げた。その意味で明治維新は,官僚による官僚のための革命であったと言えよう。下級官僚は天皇親裁を支える太だ政じょう官かん制せいと称する国家統治機構を作り上げた。ただしそれは明治以前の太だい政じょう官かん制せいとは異なるべきものであった4。彼らが目指したものは,天皇親政という古代の国体に復し,天皇親政の復活・回帰であり,同時に近代的な官吏制度の中で伝統的な国体を包摂する事にあった。幕藩体制下の日本は,すでに高度に整備された分権的官僚国家であり,世界でも類例がないほど官僚制度がよく整備された国であった。明治初年における官僚の指導者達は,旧藩における優秀な官吏達であり,官僚制度をよく熟知していた。また,彼らは国学,漢学徒であると同時に,幕末維新期に西洋への留学経験がある者が多く,古代と近代を折衷した国体を構築することには,彼らはさほどの困難性はなかったはずである。親政とは君主自らが政務と軍務を宸裁する事であり,親政,親裁,宸裁いずれも同義である。そもそも維新期のスローガンであった親裁とは,武家に奪われ形骸化した朝廷の復権を意味し,尊王攘夷派にとっては千年来の懸案事項であった。この時,天皇の側近が,天皇をして言わしめた親裁,親政の意味は,それまで幕府に委譲していた兵馬の権の奪還と,朝廷における摂関権力を排除する意味が込められていた。幕末期,倒幕派は攘夷親征の詔勅を朝廷に出させることによって,倒幕運動に弾みがついた。天皇は慶喜を親征により征討することで維新が実現したのであり,親征後の親裁は必然的な帰結であった。親征とは,君主自ら軍を率いて征討,“親カラ征ク”ことであるが,実際に天皇が自ら兵を率いて出陣するわけではない。満14歳で践祚した幼少の睦仁天皇は,慶喜征討の詔を出しただけであるが,それでもあくまで親征であった5。明治以降の天皇は,主宰する御前会議において開戦を決定するだけではなく,4 明治以前における太政官は通例だいじょうかんと訓じ,明治以降の太政官だじょうかんと区別される。5 この時元服前の天皇は詔の冒頭で「朕幼弱を以て猝に大統を紹ぎ」と述べ,本来は親征であるが,征討を委任した理由を自ら“幼弱”と述べた。