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天皇親政体制の虚実11将来的な拡大には寄与したが,天皇が危惧したように軍と参謀本部の対立の芽はあった。ただし,明治3年以降における軍事費の増大,鎮台設立,軍事費と軍人事の聖域化とともに文官は軍に介入でき....

天皇親政体制の虚実11将来的な拡大には寄与したが,天皇が危惧したように軍と参謀本部の対立の芽はあった。ただし,明治3年以降における軍事費の増大,鎮台設立,軍事費と軍人事の聖域化とともに文官は軍に介入できないところとなり,太政官に対して軍は早期に独立していた。その時期は大久保利通,岩倉具視らによる三藩直轄軍構想が後退して以降であり,明治5年頃である。山縣有朋は大村益次郎の後継者と自ら称し,国民皆兵構想を実現するために徴兵令を上奏した。これ以降,軍に対する文官の介入はなされなくなり,実質的に軍は天皇に直属した存在となった。軍は表向きでは政治に関わらず,山縣を筆頭とする軍人が軍令,軍制,軍政の聖域を差配した。井上毅による憲法建議書においても,井上は軍の案をそのまま憲法草案に入れるだけであった。一方で,太政官を象徴する存在であった岩倉具視の逝去と天皇の職務放棄によって,太政官制度は廃止され,内閣制度に移行した。内閣制度もまた軍政とは独立していた。天皇と高官との約束事項である機務六条7は,初代総理大臣と内務卿を兼務した伊藤博文と天皇との間で交わされた。機務六条は官僚派が主導権をとって,天皇親政を有名無実化したものではなく,官僚派にとって合理的な選択であった。2.『明治天皇紀』にみる国事行為(1)明治天皇の親裁記録『明治天皇紀』で利用された文献は編纂局によって収集された側近の史料や宮内省の記録が大部分を占めている。『天皇紀』の性格上,天皇親裁がやや誇張され,美化されて描かれている。われわれはそれを考慮しなければならないが,同書には天皇の肉声が活き活きと書かれている部分もあり,天皇の実像を示す重要な資料であることに変わりがない。また,従来『明治天皇紀』の一部を引用された研究は数多いが,太政官制時代全体を通した天皇親裁の姿は解明されていない。岩壁義光「明治天皇紀編纂と資料公開・保存」は『明治天皇紀』編集過程の複雑で困難な過程であった事を論じた8。『明治天皇紀』の編集は大正3年の