104号

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12 高知論叢 第104号12月に始まり,昭和8年9月30日に昭和天皇に拝呈した事をもって終了し,19年の歳月をかけて作成された。編集が終了した年は,崩御後22年後であり,明治維新から66年を経過していた。その間職務....

12 高知論叢 第104号12月に始まり,昭和8年9月30日に昭和天皇に拝呈した事をもって終了し,19年の歳月をかけて作成された。編集が終了した年は,崩御後22年後であり,明治維新から66年を経過していた。その間職務を遂行した部局は宮内省臨時帝室編集局であり,昭和8年に廃局した時の職員は61名,当初から関わり,転免職物故者は168名にのぼる大事業であった。この間の総裁は土方久元,田中光顕の2名が死去のため交代し廃局時の総裁は金子堅太郎であった。編集長も3名が交替し,編集方針も当然変化した。大正4年当初の構想は,4つの時期に分けた4部構成であったが,同年に6部構成に改定され,大正7年には3部構成に,昭和2年には4部構成となった。各時期の編集担当もその都度交替した。天皇の毎日の記録集を,書簡や関係者の日記から日付順に資料として作成して原稿をつくる作業を行っていた。大正11年に総裁に就任した金子堅太郎は,天皇紀はすべからく国史でなければならぬという持論から,国政に係わることも記述する事に編集方針が転換された。その結果,『明治天皇紀』の完結まで長期化する事になり,かつ編集にも4部でばらつきが生じることになった。『明治天皇紀』には国政に係わる天皇の事跡について詳しい部分とそうでないところが見られる事は,以上の事情によるものと考えられる。同書には天皇の肉声が活き活きと書かれている部分もあり,天皇の実像に近い姿を示す重要な資料であることに変わりがない。また,従来『明治天皇紀』の一部を引用された研究は数多いが,同書によって太政官制時代を通した天皇の国事行為に関しては,まだ検証する余地が残されている。明治天皇の親裁に関して,従来からの見解は,①文字通り天皇自らによる親裁であった,②輔弼による百官分任,あるいは多元的な天皇親裁であった,③一定の時期には天皇親裁が行われていたが以後,輔弼による分任体制になった,という大きくは3つの見解がある。“ 一定の時期” とは如何なる時期かについても様々な見解がある。筆者は,天皇親裁は,その親裁内容に変化があったとしても,明治政権が目指した天皇親裁そのものの理念と現実はいささかも揺らぐものではなく,明治維新以来,昭和天皇前半期に到るまで天皇親裁が貫かれてきたと考える。それは天皇が太政官に親臨して万機を親裁するという意味ではない。太政官制時代