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天皇親政体制の虚実253.大元帥としての明治大帝像(1)明治天皇と軍制明治維新は武家権門による徴税組織を否定するとともに,同時に朝廷を近代的官僚組織に編成替した。武家権門体制における権門には実権を与えず....

天皇親政体制の虚実253.大元帥としての明治大帝像(1)明治天皇と軍制明治維新は武家権門による徴税組織を否定するとともに,同時に朝廷を近代的官僚組織に編成替した。武家権門体制における権門には実権を与えず名誉と恩賞を与え,これを政権中枢から排除した。朝廷において実権を持った勢力は旧幕藩体制の下級官吏であった。彼らによって構築された諸省分任官僚組織は,新たな権門となった。ただしあくまで,天皇親政の下における中央集権国家という前提が必要であった。天皇は新たな権門となった文武官のトップでなければならず,古代からの由緒ある権門勢家,摂関家,武家に統治権,統帥権を委任する存在としての天皇は否定されなければならなかった。明治維新後の天皇臨御は,原則として毎日太政官臨御による親裁した時期,内閣法以後の機務六条の時期,憲法制定以降の3時期に区分できる。憲法制定以降の天皇臨御の政務は,祭事を除くと,内閣によって定められた国事行事,枢密院会議,それ以外の御前会議があった。その他日常的な法律の裁可や外交には親裁が貫かれていた。明治以来の天皇は,軍の大元帥であり47,将軍に軍を委任しないことが国体前提である。中国の大部分の君主より日本の天皇の統帥権は強固であった。従って,天皇の統帥権と統治権は名目ではなく,実質的なものでなければならなかった。統治権を総攬する政務も,あくまで輔弼による統治は補助的なものであり,親裁が維新以後における国体の前提であった。践祚した元服前の明治天皇の最初の役割は,慶喜を親征によって征討するための統帥権の発動であった。明治元年正月三職制制定時において,天皇は政務と軍務を委任したが,同年4月,正体書体制のもとでこれが改められ,天皇は政務,軍務のトップとして位置づけられた。明治元年太政官制が成立される以前における,八局制職制表では,有栖川宮