104号

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26 高知論叢 第104号熾仁親王が総裁兼東征大総督であり,三條実美,岩倉具視が副総裁,輔弼が中山忠能,正親町三條実愛である。海軍総督に嘉言親王,大総督参謀に西郷隆盛など4名が名を連ねている。軍は軍事事務局....

26 高知論叢 第104号熾仁親王が総裁兼東征大総督であり,三條実美,岩倉具視が副総裁,輔弼が中山忠能,正親町三條実愛である。海軍総督に嘉言親王,大総督参謀に西郷隆盛など4名が名を連ねている。軍は軍事事務局として八局の一局にすぎなかった。大総督とは君主が軍令を委任した場合におかれる軍の総司令官である。天皇には大元帥の名称が未だ使用されていない。三職,八局制の政体は天皇親裁の形式ではなく,軍を総裁である大総督に,政は副総裁である議定に委任した体制であった。太政官制が始まった元年閏4月の政体書体制において,軍は太政官7官の中の1つであった。軍務官将官が太政官官制のなかで,武官は一等陸海軍将から三等陸海軍将までに位置づけられた。同様に2年7月と同年8月の官制改革の中でも,兵部省は太政官の省の1つとして同一の職制表にあった。廃藩置県後の明治4年7月28日,兵部省官等表の中に,大元帥の表記がある。大元帥の下に元帥が1等官,大将が2等官,13等官の軍曹までの表記がある。兵部省は大元帥である天皇の元で,太政官官制表のなかでは独立した官制にある。明治5年の海軍省官制表にも大元帥の表示がある。同年の官制表では,陸海軍それぞれが大元帥の元で独立した。明治4 年以降,正院の事務局として内閣議官である参議が政務を掌握するが,すでにこの時期において,軍は正院とは一線を画して実質的に天皇の元で独立した存在であった。従来,統帥権独立の制度は,1878(明治11)年12月の参謀本部条例制定による参謀本部の設置を起点とする見解が多かった。文官と武官が官制表で区別されたのは,明治5年10月の官制表であり,まず海軍省官制表であった。同官制表では大元帥の欄がもうけられ,1等官が元帥,卿,2等官が大将,大輔,以下15等までの等級表の中で,海軍武官は文官と区分された。従来,統帥権独立が明治11年参謀本部設置に始まったとされてきた。その根拠が大本営沿革誌であった。「其の編成において幕僚長を参謀総長その人なりと規定せられたるは遠く十一年十二月に於いて発布されたる参謀本部条令に基因せり…平時に於ける参謀本部の参謀総長を戦時直ちに大本営の参謀総長と為すべきこと我が帝国軍建制以来の大主義なり48…天皇陛下の総攬あらせらるゝ