104号

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天皇親政体制の虚実27万機御職務中最も重大なるものは兵権にして而して兵の主とする所は戦闘なり乃ち国家有事の日は陛下親ら作戦の計画を裁あらせられ…平時より常に其計画を為し在らしむる官衙の長を任命ぜらるゝこ....

天皇親政体制の虚実27万機御職務中最も重大なるものは兵権にして而して兵の主とする所は戦闘なり乃ち国家有事の日は陛下親ら作戦の計画を裁あらせられ…平時より常に其計画を為し在らしむる官衙の長を任命ぜらるゝこと猶ほ行政部に内閣を置き首相を選任せらるゝが如くならざる可らず是に於て明治十一年参謀本部を創設して常に作戦を計画するの府とせられ其長官即ち後の参謀総長をして帷幄の機務に参ぜしめるゝことと為れり」49しかし,前述の様に,これ以前において軍は天皇に実質的に直属しており,文官の介入を排除する事は明治維新の前提であった。表5に示した太政官修史官編『明治史要』においても,明治初年から天皇は統帥者として振る舞ってきた姿が記されている。表5 明治初年における天皇の統帥録事(太政官修史官編『明治史要』より作成)   慶応3年12月27日 天皇建春門ニテ薩芸長土四藩ノ操練ヲ覧ル明治元年2月3日 天皇太政官代ニ臨ミ,親征ノ詔ヲ頒チ,列藩ニ令シテ軍備ヲ為サシム明治元年8月23日 兵制を一定セントスルヲ以テ府県ノ私ニ兵ヲ徴募スルヲ禁ス    8月30日 車駕加茂川東操練場ニ幸シ東幸扈従諸隊ノ練兵ヲ覧ル    8月 総督,副総督,参謀,司令官,兵士ノ軍功ヲ分テ,各上中下三等ト為シ    9月1日 大総督府,軍監林友幸ヲ下総銚子港ニ差遣ス    10月2日 手詔シテ,東征大総督熾仁親王ノ成功ヲ賞シ其任ヲ解ク,親王乃チ錦旗節刀ヲ奉還ス,参謀西郷隆盛等皆罷ム    12月24日 徳川慶喜箱館ノ賊ヲ討センコトヲ請フ    12月28日 軍艦ニ御シテ運用ヲ試ム明治2年4月17日 天皇諸軍ヲ帥ヰテ,駒場野ニ大閲ス    12月22日 海陸軍ノ服制ヲ定ム,各藩常備兵編制定則ヲ頒ツ明治4年10月10日 兵部省ニ令シ二艦ヲ諸国津港ニ派遣明治5年7月19日 参議西郷隆盛ヲ以テ陸軍元帥近衛都督ヲ兼シメ    9月7日 陸軍元帥服制ヲ定ム    12月1日 詔シテ全国徴兵ノ制ヲ設ケ,悉ク兵籍ニ編入シ,以テ国家ヲ保護セシム明治6年1月9日 海軍始,兵学寮ニ臨ミ艦船整列ヲ覧ル    3月24日 陸軍省職制ヲ更正ス    5月8日 陸海軍武官ノ官等ヲ改定ス明治7年2月22日 陸軍省第6局ヲ廃シテ参謀局ヲ置キ,中将山縣有朋ヲ以て局長ト為ス    2月23日 嘉彰親王ヲ以テ征討総督ト為シ,陸軍中将山縣有朋ヲ参軍ト為シ,佐賀ノ賊ヲ討ス    12月7日 天皇陸軍ヲ蓮沼村ニ大閲ス