104号

104号 page 35/94

電子ブックを開く

このページは 104号 の電子ブックに掲載されている35ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
天皇親政体制の虚実33治天皇が詠んだ歌を年別に集計したものである。晩年において詠まれた歌が多く,また日露戦前後における和歌が特に多い。戦争に関する歌は日露戦期に限定される。明治37・38年における戦争に関す....

天皇親政体制の虚実33治天皇が詠んだ歌を年別に集計したものである。晩年において詠まれた歌が多く,また日露戦前後における和歌が特に多い。戦争に関する歌は日露戦期に限定される。明治37・38年における戦争に関する歌の一部を以下に示した。いずれも軍を鼓舞し,戦いを励ます歌のみである。この中で「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風はたちさわぐらむ」はいかにも戦時にふさわしくない歌であり,それ故にこの一首だけが意図的に抽出されて誇張され,明治天皇伝説となったと考えられる。4.大元帥としての昭和天皇像(1)「四方の海」伝説と昭和天皇第二次大戦終結までの昭和天皇期の四分の三は戦時,準戦時期であり,かつ大本営設置はその過半を占めた。従って昭和天皇の日常の国務は,大元帥としての職務が多くを占めた。昭和天皇の即位は内外の閉塞状況下にあった国民からの熱い期待が寄せられた。若い昭和天皇は即位と同時に,不敗の大元帥であった明治大帝伝説の陰を常に背負っていた。昭和天皇は統治権の総覧者として,かつ軍の大元帥として常に親裁を行ってきた。ところが戦後,昭和天皇も側近も,天皇はあくまで立憲君主であり,政を自ら決定する権限はなかったのだと述べてきた55。また,御前会議とは形式的なもので,天皇は衆議の意に従うのみである,あるいは天皇は御前会議で何等意思表示や発言をしていないと弁解した。しかし御前会議は国家の最高意思決定機関であった。そして国家の最高意思決定会議としての御前会議の重要性は明治以降から終戦まで変わることがなかった。御前会議は大本営設置期において,天皇御臨席のもとに開かれる国家最高の会議として最も重要な国家意思決定機関であった。日清・日露戦争中は大本営会議に天皇が臨席される形式となった。明治天皇の「四方の海」の歌が再度クローズアップされた時は,第二次大戦終戦時であった。ただし昭和天皇がこの歌を披露したとされた時点は,日米開