104号

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34 高知論叢 第104号戦を御前会議で議論したとされる1941年(昭和16)年9月6日であった。昭和天皇が「四方の海」の詩を引用した時の事情は,従来以下のように説明されてきた。9月6日の御前会議議は短く終わった....

34 高知論叢 第104号戦を御前会議で議論したとされる1941年(昭和16)年9月6日であった。昭和天皇が「四方の海」の詩を引用した時の事情は,従来以下のように説明されてきた。9月6日の御前会議議は短く終わった。この後,杉山・永野両統帥部長に質問するという形で天皇は発言した。天皇は懐から,明治天皇の「四方の海みなはらからと思う世になど荒波の立ち騒ぐらむ」を取り出してを詠み,感想を求めたのであった。軍部も政府に協力して外交に努力せよという意味だとされている。これが,昭和天皇が開戦に対し疑問を呈した証拠とされた。東久邇宮稔彦内閣総理大臣は,1945年9月5日における衆議院演説「戦争集結ニ至ル経緯竝ニ施政方針演説」において次のように述べた。「天皇陛下に於かせられましては,大東亜戦争勃発前,我が国が和戦を決すべき重大なる御前会議が開かれました時に…御自ら,明治天皇の『よもの海みなはらからと思ふ世になと波風のたちさわくらむ』との御製を高らかに御詠み遊ばされ,如何にしても我が国と米英両国との間に蟠まる誤解を一掃し,戦争の危機を克服して,世界人類の平和を維持せられることを冀はれ…此の大御心は,開戦後と雖も終始変らせらるヽことなく,世界平和の確立に対し,常に海の如く広く深き,聖慮を傾けさせられたのであります」と伝聞だと述べたが,東久邇宮は元侍従長であった。昭和天皇は終戦後,開戦を決定した昭和16年9月6日の御前会議について大要,次のように述懐した。9月5日に近衛文麿が天皇に御前会議の原案を提示した。その内容は1.戦争の決意 2.対米交渉の継続 3.10月上旬に交渉ならざる場合は開戦を決意するという案56であった。これについて天皇は「交渉に重点を置く案に改めんことを要求」したが,近衛は1と2の順番を改めることは絶対にできない,と近衛は言った。翌朝,近衛は木戸の所に来て天皇に平和で事を進めるよう諭してもらいたいと指示した。「そこで私は豫め明治天皇の四方の海の御製を懐中にして,会議に臨み,席上之を読んだ,之も近衛の手記に詳しく出て居る」57その後,12月1日閣僚,統帥部の御前会議において開戦が決定された。この時の資料はだれも口を閉ざしている。天皇は「その時は反対しても無駄だと思ったから,一言も云わなかった」58と述べた。さらに「開戦の際東条内閣