104号

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天皇親政体制の虚実371)人事権の行使①張作霖爆死事件での田中義一首相に「辞表をだしてはどうか」と辞任要求その後,田中首相は傷心してまもなく死去「この事件あって以来,私は内閣の上奏する所のものは仮令自分....

天皇親政体制の虚実371)人事権の行使①張作霖爆死事件での田中義一首相に「辞表をだしてはどうか」と辞任要求その後,田中首相は傷心してまもなく死去「この事件あって以来,私は内閣の上奏する所のものは仮令自分が反対の意見をもってゐても裁可を与へる事に決心した」侍従武官長,軍部大臣人事選定を首相に命令した。軍事内局人事へ介入した。私の意に添わぬ「拙劣な人事の為に…阿部総理は辞表」を提出した。米内内閣について「米内はむしろ私の方から推薦した」「内閣は陸軍の為に圧せられたのである。米内内閣はよくやったと思う」②陸軍内の派閥抗争のため,「西園寺の意見を徴した上で,昭和6年12月閑院宮の参謀総長になって頂いた」「海軍の要求を容れて伏見宮に軍令部総長」に任用した。③宇垣一成は「聞き置く」という曖昧な言葉を用いる「この様な人は,総理大臣にしてはならぬと思ふ」と述べ,宇垣内閣成立に反対した。④米内内閣について「米内はむしろ私の方から推薦した。」⑤松岡外相がソ連との中立条約破棄を上奏したので「私は近衛に松岡を罷めるように云った」近衛は松岡を単独罷免せず総辞職した。⑥永野軍令部総長が戦争計画書を持参した。私は,「軍令部総長を取替へる事を要求」したが,そのままにした。⑦東条内閣を「何故私が自ら倒す事に当らなかった」理由は三つある。マリアナ陥落,憲兵を用いすぎて国民感情を害したこと,東条の兼職が多すぎたこと,以上がその理由である。⑧東条内閣の嶋田海軍大臣の功績は認めるが,あまりに評判が悪いので東条に罷免させた。⑨梅津参謀総長人事について,「もっと大物を出せといふ意見はなかったかと質問した」ところ東条は皇族の後宮(淳)案を裁可した後,取り消しを上奏した。「彼(東条)ほど朕の意見を直ちに実行にうちしたものはない」(『側近日誌』)⑩東条内閣は不人気になったが,東条を更迭しなかった理由は,更迭すると宮