104号

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38 高知論叢 第104号中の陰謀説がでる事を危惧した,東条以上の人物がいない,東条は大東亜各地の人々と接触しており,大東亜の人心を収拾する事の三点だ。⑪東条は立派に辞表を提出した。私は東条に同情している。....

38 高知論叢 第104号中の陰謀説がでる事を危惧した,東条以上の人物がいない,東条は大東亜各地の人々と接触しており,大東亜の人心を収拾する事の三点だ。⑪東条は立派に辞表を提出した。私は東条に同情している。⑫東条内閣後の後任は近衛が米内,小磯連立内閣を勧め二人に大命を下した。重臣の意見を聞き,首相,陸海軍大臣,軍令部総長を自ら決めた。山下奉文重用案は却下した。木戸内大臣から海軍の情勢を聞いた。⑬「私は木戸や松平とも相談したのであるが,官吏の任命は私の大権に属する,官吏が悪いなら,それは私の責任であるから,私が神に陳謝すべき」⑭昭和19年東条陸軍大臣の後任人事に杉山元を裁可し,三笠宮が支持した。山下奉文,阿南の梅津提案は東条が反対した。2)統帥権の行使①2.26事件の討伐命令については「積極的に自分の考えを実行させた。」②白川大将に上海事件の「不拡大を命ず」とする命令をだした。③シナ事変において「威嚇すると同時に和平論を出せ」と要求した。④ノモンハン事変前における「満州国境を厳守せよ」の大命は「正当な事である」事変後「国境の不明瞭なる地方及僻遠の地方の国境は厳守するに及ばずといふ事にした」⑤開戦の決定について,石油の輸出禁止は日本を窮地に追い込んだ「戦った方がよいという考えが決定的になったのは自然の勢いと云はねばならぬ」と述べた。⑥南仏印進駐について,「私は蓮沼武官長を通じ,東条に対し,国内の米作状況が極めて悪いから,若し南方からの米の輸入が止まったら国民は餓死する外はない,進駐は止めるように言わせた」⑦レイテ決戦に賛成したが,陸海軍の作戦がまとまらず失敗した。山下奉文と寺内寿一総軍司令官,参謀本部の意見が違ったことが敗因だ,作戦の失敗は臣下の責任である。⑧「近衛は極端な悲観論で,すぐ戦いを止めたほうが良いと云ふ意見を述べた。私は陸海軍が沖縄決戦に乗り気だから,今戦いを止めるのは適当ではないと