104号

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天皇親政体制の虚実39答へた。」昭和20年2月重臣を個別に招いて意見を述べさせた。「たとえ和を乞うとしてももう一度戦果をあげてからでないと」(『藤田侍従長回顧録』)と戦争継続を決定し,天皇は戦局が絶望的に....

天皇親政体制の虚実39答へた。」昭和20年2月重臣を個別に招いて意見を述べさせた。「たとえ和を乞うとしてももう一度戦果をあげてからでないと」(『藤田侍従長回顧録』)と戦争継続を決定し,天皇は戦局が絶望的になっても講和への道を取らなかった。⑨「沖縄戦で敗れた後は海上戦の見込みは立たぬ,唯一縷の望みは,ビルマ作戦と呼応して,雲南を叩けば,英米に対して,相当打撃を与え得るのではないか」と述べ,沖縄戦で敗れても,なお南進侵攻を計画した。⑩昭和20年8月12日皇族会議において「朝香宮が,講和は賛成だが,国体護持が出来なければ,戦争を継続するかと質問したから,私は勿論だと答へた」と述べ,国体護持を第一と考えた。3)外交政策の行使①米国参戦に関して,吉田海相は松岡外相の日独同盟論にだまされた。「日独同盟に付いては結局私は賛成した…日米開戦后出来た三国単独不講和確約は結果から見れば終始日本に害をなした」②ドイツの軍事外交戦略を変更させるように東条に命令した。ドイツはアフリカ侵略に重点をおくようにすべきである。ソビエトは防衛につとめ主力が米英に一撃を与えるべきだ。ソビエト軍がドイツ領に侵攻した際には独ソ和睦を申し込むように大島大使を通じてドイツに伝えた。(これは日本の利害を踏まえた命令であったが)日独利害の不一致が日本の敗戦の要因である。③日米交渉は「最初は非常に好調に進んだが,大切なときに松岡が反対したので駄目になった」天皇は松岡外相への外交政策と資質への嫌悪感を露わにしたが,東条英機を深く信頼し,東条に外交を主導させた。4)御前会議について①御前会議は「全く形式的なもので,天皇には会議の空気を支配する決定権は,ない」②昭和16年9月6日開戦決定の御前会議前日に近衛首相が原案提示した。「私は交渉に重点を置く案に改めんことを要求したが,近衛はそれは不可能です