104号

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40 高知論叢 第104号と云って承知しなかった」③9月6日の午前会議の前,近衛文磨は「木戸の処にやって来て,私に会議の席上,一同に平和で事を進める様諭して貰ひ度いとの事であった。それで私は豫め明治天皇の四....

40 高知論叢 第104号と云って承知しなかった」③9月6日の午前会議の前,近衛文磨は「木戸の処にやって来て,私に会議の席上,一同に平和で事を進める様諭して貰ひ度いとの事であった。それで私は豫め明治天皇の四方の海の御製を懐中にして,会議に臨み,席上読んだ,之も近衛の手記に詳しく出て居る」④9月6日の御前会議の決定を白紙に戻し,平和になるよう極力尽力せよ「木戸をして東条に説明させた…東条は私の気持ちを汲んで組閣した…この男ならば,組閣の際に条件さへ付けて置けば,陸軍を抑へて順調に事を運んで行くだらうと思った」⑤「政府と統帥部の一致した意見は認めなければならぬ…12月1日に,閣僚と統帥部との合同の御前会議が開かれ,戦争に決定した。その時は反対しても無駄だと思ったから,一言も云はなかった」以上のように天皇は御前会議において,意見を聞くだけで衆議に従うだけだ,としてあくまで親裁を否定した。5)平和への志向①宣戦の詔書案の「豈朕が志ならんや…皇祖高宗の神霊上に在り」の言葉は上意であるとの東条の言に対して「その様な事を云ったかも知れぬ」②「開戦後(ローマ)法皇庁に初めて使節を派遣した,之は私の発意である」戦争終結,情報収集,影響力を考慮した。③戦争を鼓舞するための詔書は拒否し,平和を祈るための伊勢神宮参拝を実施した。④敗戦の原因は四つある,兵法研究が不十分,精神主義偏重と科学の軽視,陸海軍不一致軍首脳部の人材不足である。⑤昭和20年8月9日最高戦争指導会議,御前会議でポツダム宣言を受諾する決定をした。受諾しなければ日本民族は亡びてしまう。伊勢湾に敵が上陸すれば伊勢,熱田神宮が敵の制圧下に入り,神器の移動ができず国体護持は難しい。私の一身は犠牲にしても講和をせねばならない。⑥「開戦の際東条内閣の決定を私が裁可したのは立憲政治下に於る立憲君主と