104号

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50 高知論叢 第104号な協力の必要性について,陸海軍統帥部の意見を聞いた。永野軍令部総長は「唯今ハ陸海軍良ク協調シアリ」杉山参謀総長は福州上陸の例の如く「陸海軍協同一致」73 しているという表向きの意見表....

50 高知論叢 第104号な協力の必要性について,陸海軍統帥部の意見を聞いた。永野軍令部総長は「唯今ハ陸海軍良ク協調シアリ」杉山参謀総長は福州上陸の例の如く「陸海軍協同一致」73 しているという表向きの意見表明しかしなかった。その後東条は,陸軍大臣,総理大臣,参謀総長を兼務しても陸海軍不一致を是正することが出来なかった。日本の統帥は天皇や軍のトップ,一部軍閥の問題ではなく,組織が構造的問題を有していたと言える。それは官僚組織の構造的欠陥でもあった。天皇は“しろしめる”存在であり,官僚は天皇の無言の意志を受けて命を賭して使命を果たすのみであるという,親裁体制を支える統帥部と行政主体の曖昧さに起因するものであった。むすびGHQ は日本の伝統的な政治決着である“君側の奸”に戦争責任があるとする決着を行い,国民世論もそれに納得した。しかし,その決着は天皇親裁であった明治憲法の原則を無視したものであった。明治大帝から昭和天皇までの親裁は名目ではなく実質的な親裁であった。天皇は高官人事,重要な内政,外交を総攬し,軍を統帥してきた。戦後,それまでの親裁が名目的であったと如何に強弁しても,天皇の事跡を仔細に見ると,実質的な親裁が執行されたことが明らかにされている。明治初年の親政は,天皇による太政官への連日の臨御と高官との面会を前提にしたものであったが,内閣制度,憲法体制以降は憲法と法律の枠内での親裁が制度化された。憲法上の天皇は国家有機体の元首であり,その限りで憲法に基づいて親裁を行うことは専制君主であることを意味しない。官僚による百官分任に見えるが,あくまで天皇よって統治権が総攬され,統帥する事が貫かれてきた。天皇は重要事項の総てを知りうる唯一の元首であり,それ故に親裁する事ができた。そのことが結果として陸海軍統合司令部を一度も作れず,統帥不一致を招いた。また,内局課長に権限が集中するという,日本の官僚制度特有の構造にも,統帥不一致の要因があった。