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天皇親政体制の虚実51親裁体制は大本営設置期において,議会への対策が考慮される事はなかったが,議会は昭和初期まで,親裁体制の火薬庫であったことは事実である。内閣と軍の対立,統帥不一致を将来来たすであろう....

天皇親政体制の虚実51親裁体制は大本営設置期において,議会への対策が考慮される事はなかったが,議会は昭和初期まで,親裁体制の火薬庫であったことは事実である。内閣と軍の対立,統帥不一致を将来来たすであろう事は,すでに明治憲法制定時において,憲法原案を策定していた井上毅は,政体の矛盾が生じるに違いないと心配していた74。しかし,井上毅らは統帥部間,陸海軍間の対立と混乱が生じることは想定出来なかった。1 内閣総理大臣を内閣の首班とする,とは明治18年内閣官制から使用された言葉である。首班とは天皇から見た集団のリーダー格を意味する。2 Shiru, shiriは縄文・弥生語に由来する。アイヌ語のshirは山を意味し,山は肉体をもった生物(人間)である。3 「帝尭陶唐氏,帝?子也…有老人,含哺鼓腹,撃壌而歌曰,日出而作,日入而息,鑿井而飲,耕田而食,帝力何有於我哉」鼓腹撃壌『十八史略』4 『日本書紀』には王氏,中臣氏,斎部氏,卜部氏らが世襲的に神事に関わり,軍事は物部氏が統括した事が記されている。5 天皇自身が神であるとは昭和に生まれた誤用である。生き神信仰は神霊と一体になった祭事に由来し,全国の生き神の総括者が天皇であるという意味である。『万葉集』柿本人麻呂「皇は神にしませば」の例と日本書紀の1例しかない。「国体の本義」(1935年)「天皇は,皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治し給ふ現御神であらせられる」神の語源はアイヌ語のkamui 説がある。6 黒田俊雄「中世の国家と天皇」『岩波講座日本歴史6中世2』1963年2月28日7 天皇は総理大臣から特別な要請がない限り閣議には加わらなくてよいことになり,文字通りの天皇臨裁によらなくても親裁とみなすものとされた。また上奏への下問は所管大臣と次官に限定した。(内閣ニ於テ重要ノ国務会議ノ節ハ,総理大臣ヨリ臨御及上奏候上ハ,直ニ御聴許可被為在事 各省ヨリ上奏書ニ付,御下問被為在候節ハ,主務大臣又ハ次官被召出,直接御下問被為在度事 必要之場合ニハ地方行幸被為在度事)8 岩壁義光『広島大学史紀要第6号』「明治天皇紀編纂と資料公開・保存」(2004年)。9 明治13年2月三条・岩倉,文部卿は河野敏鎌を文部卿として推薦した。しかし天皇は佐々木高行を文部卿としたかった。天皇は太政大臣,左右大臣に次のように言った「従来内閣に於ける参議の権力強大にして,実に参議兼大臣の観ありき,自今以後大臣たる者力めて参議を統御すべしと宣したまへり」『明治天皇紀第5巻』28頁10 坂本国夫「枢密院文書について」『北の丸第3号』昭和49年12月11 各巻の該当年数は以下の通り,第1巻 嘉永5年-明治元年,第2巻 明治2年-明治5年,第3巻 明治6年-明治9年,第4巻 明治10年-明治12年,第5巻 明治13年-明治15年,第6巻 明治16年-明治20年,第7巻 明治21年-明治24年