104号

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天皇親政体制の虚実53道にと建言した。18 明治6年1月山縣有朋による建言で徴兵令が制定される。明治6年1月10日徴兵令を発布する。「殊に有朋は旧山口藩において奇兵隊を一般四民より募集し,勇敢なる精兵を作り....

天皇親政体制の虚実53道にと建言した。18 明治6年1月山縣有朋による建言で徴兵令が制定される。明治6年1月10日徴兵令を発布する。「殊に有朋は旧山口藩において奇兵隊を一般四民より募集し,勇敢なる精兵を作り得たるの経験と,欧米諸国の兵制を視察したるの結果とに依り断固として其の所信を主張す」1月4日山県陸軍大輔上奏し全国鎮台配置改訂。7日に裁可,公布,6月2日左院海軍拡張10年計画を正院に提出した。「抑〃慶応3年徳川慶喜兵馬の権を奉還すと雖も,当時朝廷は未だ一兵を有せず」明治二年版籍奉還後も旧藩主は兵馬,収税の権を有していた。明治3年以降,山縣有朋が兵部少輔として軍政にあたる。4月,陸軍中将大輔山縣有朋が大輔を辞任する。4月10日辞表提出。『天皇紀』には「新兵制を実施せんとするに際し陸軍省内動もすれば和平を欠かんとす」「陸軍元帥参議西郷,大蔵大輔大隈,大蔵大輔井上馨等陸軍省の瓦解せんことを慮りて斡旋する所あり,29日有朋に命ずるに陸軍省御用掛を以てし,陸軍卿代理たらしむ」とある。『明治天皇紀第三巻』55頁19 明治6年5月「5日皇城炎上す」『明治天皇紀第三巻』61頁 天皇は騎馬にて宮内卿徳大寺実則馬,侍従長,侍従を従え皇后と吹上御苑に難を逃れた。三條,熾仁親王伺候,参議,百官,山里御苑内梅茶屋を正院代とし,宮内庁仮庁とした。続いて,延焼し 太政官,宮内庁舎を焼いた。この日赤坂離宮を以て仮皇居と定め,宮内省の事務を離宮内で執る。馬場先門内旧教部省庁舎を太政官代と為す。『明治天皇紀第三巻』62頁20 明治7年1月1日大雪,正月,皇居午前5時四方拝。7時食事8時朝拝の儀,華族 皇后はじめて同席,宮内庁にて参賀,外国人,3日まで元始祭,4日正院にて政務をとる。各神社の奏事 陸軍卿山縣有朋近衛鎮台士官学校設置,全国防衛線画定を上奏,工部卿伊藤博文奏聞大阪神戸間の鉄道竣工間近,「この年正院に行幸して政を聴きたまふこと四十有余回なり」『明治天皇紀第三巻』185頁第三巻20 民選議院建白書提出直後 明治7年1月 佐々木高行ら建議共和政治不可 国体外邦と異なり,一朝にして設けくべからざるは民撰議院」『明治天皇紀第三巻』196頁 第3巻「明治七年二月二十二日陸軍省第六局を廃し,新たに参謀局を置きて国防及び用兵の機務を画策せしむ,是軍令の首脳たる参謀事務を拡張し且之れと一般軍事行政との別を明らかにせんがためなり,近衛都督陸軍中将山縣有朋に命じて局長を兼ねしむ」同上書214-215頁。明治7年5月10日,左院に憲法制定編纂命令,明治7年5月,山県,三浦梧楼,曽我祐準 廟議日清開戦不可「兵備未だ整はざる」『明治天皇紀第三巻』280頁第3巻明治7年5月,島津久光,海軍優先,上奏,大隈更迭,上書,西洋化反対。明治7年8月元田永孚上奏6人の家臣一体化天皇への上奏,征韓論征台で意見が分かれる。「六輔臣の心を一にするは…唯陛下の一誠に在るのみ」『明治天皇紀第三巻』301頁21 明治8年1月木戸,大久保和解し木戸を政府に戻す,伊藤,政治改革元勲を参議にして木戸,大久保らを輔弼とし省と政府を分離し省には2流の人物を配置すべし。元老院を設立議会開設,木戸板垣会談大久保,入閣要請,明治8年2月岩倉上奏政治改革は漸進を旨とすべしと。明治8年1月中山忠能上奏,西洋品節減し左右大臣の省分担し太政大臣が総攬すべし。明治8年4月14日聖詔, 正院にて大臣参議省長官, 元老院, 大審