104号

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天皇親政体制の虚実57者力めて参議を統御すべしと宣したまへり」同上書 28頁35 明治13年6月,外債募集大隈の閣議への提議に各参議反対 元田・佐々木が反対の内奏,グラントの不可の奏上ありと元田,佐々木が内奏,....

天皇親政体制の虚実57者力めて参議を統御すべしと宣したまへり」同上書 28頁35 明治13年6月,外債募集大隈の閣議への提議に各参議反対 元田・佐々木が反対の内奏,グラントの不可の奏上ありと元田,佐々木が内奏,大隈案に黒田,西郷,榎本は賛成「天皇 外債募集不可と為したまひ」勅諭『明治天皇紀第5巻』74頁36 明治13年8月,黒田清隆米納論,地租改正以降金納「天皇縷々垂示したまふ所あり,又重信の意見遺策なきこと確乎たらば可なりと雖も,一二年を出ずして変更あるをみることあらざるなきかを慮らせられ,深く叡慮を悩ましたまふ,大臣等退きて考ふるに,両論孰れも其の遺賛なきことを保し難し」御前会議を開いても両論を聞き聖断を仰ごう,翌日も太政大臣宅で大討議「天皇,重信をして新たに財政を調査せしむ」重信と伊藤に命じた。伊藤は重信を配慮し固辞したが承諾,博文は岩倉に書を出して「陸軍省を始め各省に就きて実際断行せらるべき経費節減の内談…」各省との交渉は難しい,と述べた。同上書164-165頁37 「軍装にて太政官正庁に臨御, 政治を行ひたまふ, 其の儀例の如し, 是の歳一月二十二日以降十二月二十日に至る間に於て,内閣に臨御し政を聞召すこと六十六回,但し七・八・八・十の四箇月は暑中休暇・巡幸にて殆ど臨御あらせられず,又概ね午前十時に臨御し正午に入あらせらるゝを恒とす, 二月内閣会議所の新築成れるを以て, 同十五日より玉座を同所に設く」明治14年1月4日同上書 255-256頁38 明治14年1月 立憲政体の建議(伊藤,山田,井上,山縣,黒田),伊藤は建言が入れられねば官を辞する。明治14年3月 天皇,谷干城の辞表を撤回させる。明治14年6月 立憲政体について,山縣,伊藤,元田ら5人の参議の所見。39 侍講元田,佐々木高行昨日御前に召されて「閣議,参議を廃して参議院を設置し,大臣・各省卿を以て内閣を組織する事に決し」同上書 555頁,参議省卿,参議院を開く分任をやめ参議を省卿を兼ねる。同上書 559頁「参謀本部長をして内閣に列せしむるの儀は之れを不可なりとする者多数なりしが,博文,右大臣岩倉具視に説くきて曰く,薩長出身者中実力ある者,有朋,従道の右に出づるなし,二人をして閣外に去らしめんか,内閣の権力自ら薄弱にして,威令の徹し難き憂なきにあらず,故に今若し参謀本部長たる者の入閣を非なりとせば,有朋を或一省の長官に転ぜしめて閣員に一人たらしめざるべからず」同上書 559頁 有朋に代わる参謀本部長は西郷(従)である。40 明治14年3月河野は欧米の豪傑を修身教育にする。孔子孟子を廃し,「修身課については主義を明確にすべしと論ずる者あり, 然れども予は之を賛せず, 神, 儒, 佛のいずれにも偏せず, 唯忠孝信義を以って身をたつべきを大主義とせざるべからずと力説す,衆皆予が意見に従へり」同上書 301頁 明治14年4月内閣人事,岩倉内奏,文部卿・海軍卿の更迭,海軍卿榎本武揚,海軍省の軍務を参謀本部に属させることに榎本は反対,皆川村の復任を望む。伊藤は反対,「天皇深く宸念あらせらる」内閣の混乱に対して深く考えられ,大臣と共に解決策。「天皇又宣はく,元来,大臣・参議等維新の際に於ける勲功大なりと雖も,皆政治に長ぜるにあらず,故に内閣の困難するも亦やむを得ざるなり,是時勢の然らしむる所なれば暫く時機の熟するを俟つの外なからんと,高行聖旨の深遠