104号

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4 高知論叢 第104号「獲わかたける加多支鹵大だい王おう寺在斯鬼宮時吾左治しろしめる天あめのした下」は謎が多い五世紀中葉と見られている。倭言葉のShirasu は大陸由来の無為自然的統治と縄文語,やまと言葉が結....

4 高知論叢 第104号「獲わかたける加多支鹵大だい王おう寺在斯鬼宮時吾左治しろしめる天あめのした下」は謎が多い五世紀中葉と見られている。倭言葉のShirasu は大陸由来の無為自然的統治と縄文語,やまと言葉が結びついたものである2。日本は道教教義である天神,地祗,鬼神,陰陽五行などを受け入れたが,最も重要な道の思想をそのままで受け入れたわけではなかった。大陸由来の道教では,道とは天に先だって永遠に先んずるものであり,老子の神格化に通じたが,日本では土着宗教に吸収された。道教は日本の土着の神と一体化し,道は消去され,ただ断片的な史書の説話や語彙のみを受容した。聖人とされた堯の説話は,渡来系王朝の支配層には広く知られていたはずである。「帝力何有於我哉(帝の力がどうして私に関わりがあるというのだろうか)」という民の声を聴いた堯は,天下が治まっていると安堵したという伝説3が,理想的な統治を意味する「しらす」の根拠である。皇帝による親政でありながら,民には被統治者意識を持たせず,「しろしめる」だけが理想とする意識が,このやまと言葉には込められていた。大王と言われていた倭の国王が,天皇という称号を与えられた時,すでに神格化が行われた。8世紀初頭に成立した『記紀』においては神武紀以降,天皇の称号が用いられているが,現実の歴史上において天皇という名称が使われるようになったのは,7世紀後半の天武天皇(第40代),持統天皇(第41代)の時代まで下るとする見解が多い。ところが天皇という称号を辺境倭国の王が外交上で用いることは,中華文化圏では非常識であった。天皇という称号は中華文化圏の三皇(天皇・地皇・人皇)中でも最上位の神であり,聖人とされた黄帝・堯・舜以上に優越した神秘的な神だからである。『記紀』成立期前後において,それまでの日本の大王を天皇と称した事は外交上の理由からだけではなく,渡来人である王家のルーツに神秘性を持たせようとしたものであった。『記紀』に描かれた日本天皇の職務は,神祗と政を統括し,軍を統帥する事にあり,中国皇帝を模したものであった。渡来系の豪族によって担われた王家であるだけに当然であった。天皇の実際の職務は,神事を執り行うが,日常の神祗の職務は神祗官4,政