104号

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58 高知論叢 第104号なるに感激して退く」同上書 319頁 長州出身の参議は職務を熱心,薩摩出身参議は寺島以外は出仕しない。川村が復任すれば黒田,西郷も出仕する。大臣は権威がない。木戸,大久保がいるころは,....

58 高知論叢 第104号なるに感激して退く」同上書 319頁 長州出身の参議は職務を熱心,薩摩出身参議は寺島以外は出仕しない。川村が復任すれば黒田,西郷も出仕する。大臣は権威がない。木戸,大久保がいるころは,三条は木戸の言を入れ,岩倉は大久保の言を入れており,調和していた。「然るに今や三大臣は伊藤にのみ傾聴する」同上書 319頁 薩摩の参議は常に不平 大臣は参議の調和を策る41 明治14年7月北海道開拓使官有物払い下げ「天皇其の計画の前途を深く慮らせられ,果たして確実なる成算あるかを垂問したまふ」大隈は不可,閣議許可,10年で1万円,明治4年より38万7千円無利息30年で払い下げ明治14年10月参議連名上奏大隈罷免「天皇宣はく,其の事由をを明らかにせずして辞官を強ふべきにあらず」「開拓使官有物払い下げと大隈の進退とは固より別箇の問題なり,然るに大隈辞官せば黒田異議なしとは,其の意を解する能はざるにあらずや」同上書 544頁,明治14年10月,内閣制度の改正,参事院創設,参議任免,高行等中正党の意見が採用された。42 山縣有朋,徴兵令から9年経つが定員を満たしていない,4万人常備兵の制を定めたが鎮台によっては2大隊,1中隊を欠く,と述べた。43 明治17年3月侍従職,侍従長,侍従を設置。伊藤を宮内卿,この後明治17年9月 公文奏上種類を3つに分ける 1.勅裁を仰ぐべきもの 2.奏聞を経て施行すべきもの 3.御覧に供すべきもの「書式雛形を定め,自今総て宮内卿の名を以て奏上し,卿不在の時は輔若しくは上席出仕して代奏せしむ」『明治天皇紀第6巻』284頁明治17年11月,西郷・川村連署奏請,国防会議設置,明治18年4月10日「国防会議を帷握の中に置く」同上書 392頁 皇族を議長, 陸海軍将官を議員, 第6巻391頁「陸海軍協同審議してその計画を一徹」,海岸線の防衛,鉄道,軍港,電信,要塞明治17年12月31日「この歳,天皇,御不予の故を以て,出御あらせざること多し」339頁 18年7月宮内卿,伊藤辞職しようとした。侍従藤波は幼少の時から天皇の近くにいた。古代から天皇は襟を正して大臣の奏上を聴いた。伊藤の話を聞くようにといった「天皇色を作し,言忠を叱して曰く,此の如きことは汝の奏すべきことにあらず…直ちに座を起ち寝室に入らせたまふ」翌朝,宮内卿を召して,31日午前10時30分から12時まで,伊藤は国務を奏した。藤波言忠談,いままで拝謁できなかったことを不満の色もみせず。明治18年5月18日監軍本部条例を改正し,監軍本部を3つに分割し大中将がこれに当たる。天皇「速やかに監軍を専任すべし,陸軍中将子爵鳥尾子弥太・同子爵谷干城・同子爵三浦梧楼の如きは監軍適任者ならずやと,実美答ふるに左大臣たるひとと議りて後奏上すべきことを以てす」同上書 411頁,明治18年7月7日久しく参議に行幸しなかったが伊藤博文邸宮内卿に行幸。午後一時に出て午後8時40分に帰った。博文の父十蔵を召し杯を賜った。27名が晩餐,7月天皇の国務が少なくなった,10時から12時まで,侍従長,侍講と用談のみ,大臣参議に奏聞はない,博文は「遂に其の職を辞せんとするの意あり」同上書 446頁44 明治19年9月伊藤,上奏,機務六條,侍従長徳大寺実則を通じて上奏,裁可を仰いだ「天皇の益々政務を励み,親政の実を挙げさせられ,国務大臣をして直ちに拝謁して事務を奏することを得しめんこと」同上書 631頁