104号

104号 page 8/94

電子ブックを開く

このページは 104号 の電子ブックに掲載されている8ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
6 高知論叢 第104号皇像にまで現実の天皇を戻す事が維新のスローガンである事は時代錯誤ではなかった。しかし明治の官僚は天皇親裁を憲法体制の中で完結させ,天皇親裁を官僚の輔弼によって実現させるための努力と....

6 高知論叢 第104号皇像にまで現実の天皇を戻す事が維新のスローガンである事は時代錯誤ではなかった。しかし明治の官僚は天皇親裁を憲法体制の中で完結させ,天皇親裁を官僚の輔弼によって実現させるための努力と時間を必要とした。中国の宰相は君主に仕え百官を率い,将軍は軍を率いた。古代中国では,統帥権の象徴である虎符は,将軍と君主が分割して保有し,将軍は2つの虎符ともに所有しなければ,単独では兵を動かすことはできなかった。君主の許可なく単独で兵を動かせば将軍は厳罰を受ける。中国の君主制は,軍事行動の発動,即ち軍令は皇帝の許可を必要とするが,軍政,軍制は将軍に委任された。また民政は宰相に委任される事を常とした。明治以前の日本の政体を大別すると,古代の豪族連合政権の時代,朝廷を中心とした王権が強化された時代,王権,貴族,社寺,武家ら権門勢家に国家が分掌された時代,武家政権による集権国家の時代があった。従来,評価が大きく分かれたのは中世を如何に評価するかである。中世は古代権力と武家権力が権力を巡って争い,その結果武家権力が勝利した時代とする見解が多かった。しかし,古代以来の日本は,朝廷と武家,社寺は権門として互いに利用し,国家機構の中で棲み分けて明治まで存続していたとする見解がある。国家は公家,皇族,寺社,武家ら職能的役割をもった権門組織からなり,官衙と官人は天皇にとってすでに家産的役人ではなかった。王権は諸々の権門に分掌されていた6。国家機構としての権門体制における王権は弱体形式的,非集権的であった。天皇が主導権を持ちうる可能性があった建武政権は反動的復活であった。徳川幕藩体制は武家権門体制による集権国家の完成であり,朝廷の官僚組織を否定し,武家官僚組織による,郡国制的集権国家であった。幕藩体制は権門としての朝廷を否定せず,朝廷の権威を温存,依存した。国家機構において,徴税権をいかなる権力が掌握するかに権力の関心は集約される。古代朝廷の徴税権は権門勢家に分任されたが,近世においては幕府と諸藩に分任された。徴税を担う官吏は幕府と諸藩の役人が担い,朝廷の太政官官吏組織は名目すぎなかった。明治の革命は武家権門による徴税組織を否定するとともに,同時に朝廷官僚組織を近代的官僚組織への編成替であった。武家権門体制における権門には実