106号

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8 高知論叢 第106号老格,上席中老,下席馬廻,新馬廻,上席小姓組,下席留守居組,新留守居組,以上の上士が武士であり,多くが藩主と共に土佐に赴任した武士であった。彼らの等級は四等士族以上である。四等下級....

8 高知論叢 第106号老格,上席中老,下席馬廻,新馬廻,上席小姓組,下席留守居組,新留守居組,以上の上士が武士であり,多くが藩主と共に土佐に赴任した武士であった。彼らの等級は四等士族以上である。四等下級士族の石高は二人扶持,切米4石から7石程度であった。但し,藩の一等士族と雖も朝廷の官位をたやすく得られた訳ではなかった。諸藩は公卿と姻戚関係を持ち,朝廷の官位を得ようとした。1869年(明治2年)版籍奉還直後,明治政府は旧武士階級の内,一門から平士までを士族と称した。士族の選定基準は藩によって異なるが,加賀藩,土佐藩などの場合,直参身分であった足軽層の一部や上級士族層も一様に士族とみなしていた。多くの藩では引き続き上中下などの等級をつけ,旧来の家格制度を維持しようとした。旧足軽であった五等以下の卒族(一等から三等)は,明治以降においても数年間継承されたが,明治5年,卒族は廃止され,士族に編入された。明治9年の時点で士族は全国民の約5% 程度であったと推測される。3.維新官吏の位階制(1)藩士から維新官吏へ藩士から維新官吏となった徴士は,守旧派との権力闘争を経て官制の確立を目指した。幕藩時代には朝廷の位階と武家官吏の位階が分離していた。藩政期は禁中並公家諸法度により,武家の位階制度を員外官とすることによって,公家位階制度と分離しつつ,これを援用した支配秩序であったが,維新後の位階制は律令以降の朝廷官位制度と士族等級に基づく士族官位制度を統一したものであった。明治の官制が太政官,内閣の職権であったのに対して,位記は宮内省の管轄であり,明治初年の官制は位階制と連動した8。明治初年においては律令制下の位8 公こう式しき令れいには以下のように記されている。第十七条 一位ノ位記ニハ親署ノ後御璽ヲ鈐シ宮内大臣年月日ヲ記入シ之ニ副署ス 2 二位以下四位以上ノ位記ニハ御璽ヲ鈐シ宮内大臣年月日ヲ記入シ之ヲ奉ス五位以下ノ位記ニハ宮内省ノ印ヲ鈐シ宮内大臣年月日ヲ記入シ之ヲ宣ス 明治の公こう式しき令れい(明治40年1月31日勅令第6号)は律令以降の公く 式しき令りょうとは異なる。公こう文ぶん式しき(明治19年勅令第1号)の廃止によって制定された。