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武官の人事評価に関する歴史的研究9階制度を踏襲し,正一位から従九位まで十八位による官吏の序列等級が定まった。明治初年において位階制度と官吏職階制度は併存した。維新政府において,かつては出自が卑しい下級....

武官の人事評価に関する歴史的研究9階制度を踏襲し,正一位から従九位まで十八位による官吏の序列等級が定まった。明治初年において位階制度と官吏職階制度は併存した。維新政府において,かつては出自が卑しい下級士族でありながら,功のあった能吏が,一・二等官となり,三位以上の参議,省卿,左右大臣へと昇進した。そして,彼らがかつての大藩の藩主,摂関家以上に昇進したことは,千年にわたる位階制度にとって劇的な変化であった。日本の官僚の人事評価制度は,朝廷の位階制に加え,日常的な考課と戦時の論功を加えた。維新後の明治政府は,縁故,藩閥批判に合理性を与えないために,高官登用制度の整備を進める必要に迫られた。しかし維新の功臣だけは別格であり,官吏登用試験を経ないで任用された維新の功臣が徴士に任用され,彼らは最初に親任官となり,維新政府の実権を掌握した。官吏登用に関して,文官に比して武官登用制度の整備が先んじていた。但し勅任官以上の高官で官吏登用試験そのものを受けていない高官には適用されなかった9。維新後の高知藩でも,かつての旧藩時代の階級制度を継承した。明治3年旧階級は新階級に移行した。家老格の一等士族から五等士族までが,新職階制では九等官までに格付けされた。藩主は知事として1等官の上位に格付けされたものの,版籍所有者ではなく,一官吏としての存在となったことが明確になった。これより先,明治2年11月の中央政府における職制表では,知事が第一等,月俸20石となっていた。権大参事が第二等,月俸15石,以下少参事が第三等月俸10石であり,第九等,等外までの十等級に分かれていた10。また,東京に駐留する文官と武官の職制は一般俸給表から独立しており,軍務局のトップである大師帥は知事と同格の第一等,月俸20石であった。軍務局もやはり十等級に分かれていた。旧藩における俸給は,知行,蔵米,扶持米,役高と複雑に分かれていたが新藩では月俸に統一された。なお旧藩主である県知事は,県では県9 明治20年以後試験制度を採用した。文官試験試補及見習規則(明治20年勅令第37号,文官任用令明治26年勅令第183号,文官試験規則明治26年勅令第197号。10 『土佐藩政録』は太政官修史館副監事,丁野遠影により明治初年に編纂。昭和55年10月復刻,歴史出版社。