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10 高知論叢 第106号の職階では一等官の上であるが,朝廷の官制では勅任官にとどまった。特別な存在である親王家は一品から四品までに任じられ,それぞれ位階制の一位より四位に対応したが。一品は桂宮一品淑子内親....

10 高知論叢 第106号の職階では一等官の上であるが,朝廷の官制では勅任官にとどまった。特別な存在である親王家は一品から四品までに任じられ,それぞれ位階制の一位より四位に対応したが。一品は桂宮一品淑子内親王と有栖川宮一品幟仁親王のみであり,二品に叙せられた親王は,有栖川宮二品熾仁親王,静閑院宮二品親子内親王,三階宮二品晃親王のみであった。三品親王は四名いたが,四品親王は空位であった。朝廷は維新の功臣を徴士,貢士として大量に採用した。徴士は慶応4年に徴用され,翌明治2年6月に廃止された,彼らが参議,省卿,太政官,正院事務局として官僚体制を整備し,その後の憲法体制を設計した。若くして四位,三位,参議となった彼らが一位,二位の大臣をしのぐ発言力を有する様になり,以後維新政権の中心となった。但し,明治初年においては,徴士出身の参議の身分は四位相当であり,公卿,大臣より下の身分であった。次に位階制と職制からみた職制画期を示そう。明治元年閏4月21日,政体書体制において,朝廷の位階制と新官制が併用された。旧藩主,公卿にしかるべき位階を与えたがためである。総裁,大総督を有栖川宮熾仁親王に委任する形をとったが,戊辰戦争時において,実際は諸藩の連合であり,軍事の指揮は総督,参謀が行う官制であった。政体書体制以降の官制表も位階制を前提としていた。官吏に関する官等表(一等官から十五等官)は品位制を前提としていた11。明治4年,位階制は新たな官制によって代替されたが,廃止されたものではなく併存していた。官職も正一位より従九位までの十八位階に叙位された。同体制における職階では,一等官は議定,知官事,一等海軍・陸軍将であり,二等官は参与,府知事,三等官は一等知県事,四等官は二等知県事,五等官は三等知県事に位置づけられた。中央の太政官七官におけるトップは一等官知事であり,地方県知事とは格差が設けられた。旧藩主の職制上の位置は,大藩藩主が三等官,中藩藩主は四等官,小藩藩主は五等官であり,政体書では官位制のみ明示された。11 太政官修史局『明治史要』1頁1876年10月