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22 高知論叢 第106号初叙並進級例内則」によれば21,勲等と官等,進級基準年が,表9のように定まった。各官位在職5年から12年進級年限に応じた叙勲を定められ,その後しばしば改正されたが,勲位,官位,進級が一....

22 高知論叢 第106号初叙並進級例内則」によれば21,勲等と官等,進級基準年が,表9のように定まった。各官位在職5年から12年進級年限に応じた叙勲を定められ,その後しばしば改正されたが,勲位,官位,進級が一体であったことが同表からも明らかである。勲等申請にあたって本人の履歴明細には,出張,任官,処分,起草書有無,審査,審判,会議出席,廃官等について詳細な記述が求められた。(2)金鵄勲章の神聖性明治初年における戊辰戦争や,廃藩置県の論功から始まる文武官への恩賞制度は金鵄勲章制度によって完結した。金鵄勲章は,日清戦争開始後の1894(明治27)年9月29日に金鵄勲章年金が制定された事にはじまる。大本営設置はその直前の94年6月である22。何故金鵄勲章と言われ,明治23年2月11日に定まったのか。この年は,枢密院と議会が発足し,憲法,皇室典範が施行された年である。軍事的には壬午,甲申事変後,朝鮮半島において紛争の火種を抱えており,軍備増強を急ぎ,武官人事管理のソフトとしての武功顕彰制度整備を急務としていた。神武天皇即位二千五百五十年の紀元節まで延期する必要があった。詔には,神武東征の故事に拠り金鵄を配す,としている。「是の日方に其の期に当る,乃ち神武東征の故事に拠り,金鵄を配して此の勲章を按出す,其の等級功一級より功七級に至る」とあり,詔勅には「朕惟ミルニ 神武天皇皇業ヲ恢弘シ継承シテ 朕ニ及ヘリ 今ヤ夐はるカニ登極紀元ヲ算スレハ二千五百五十年ニ達セリ 朕此期ニ際シ 天皇戡定ノ故事ニ徴シ 金鵄勲章ヲ創設シ将来武功抜群ノ者ニ授与シ 永ク天皇ノ威烈ヲ光ニシ 以テ其忠勇ヲ奨励セントス 汝衆庶此旨ヲ体セヨ」,以上の様に金鵄勲章制定は神武紀元2550年である西暦1890年を待つとした。『神武紀』における最もよく引用される,烏からすと鵄とびの事例は以下の箇所である。「一. 時ときに夜よるゆめみらく夢,天あま照てらす大おおみかみ神 訓をしへまつりて于 天すめらみことにのたまはく 皇曰,朕あれいまやたからすをつかわす今遣頭八咫烏21 賞勲局「勲位初叙並進級例内則」明治16年7月22 日清戦争(1894年7月25日から1895年11月30日)の開戦4か月後金鵄勲章叙賜規定が定められた。日清戦争における大本営は1894年6月5日に設置された。演習や行幸時においても天皇の御座所において常に大本営は設置された。地方官吏や軍人から人事を除く事項に関して上奏される事が多かった。