106号

106号 page 27/110

電子ブックを開く

このページは 106号 の電子ブックに掲載されている27ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
武官の人事評価に関する歴史的研究25ハ軍功ノ審査ト相待テ之ヲ為シ,大本営ニ隷属スルモノト等シク総テ同一様ニ軍事内局長ニ於テ之レカ親裁ヲ仰クノ趣旨ナリシモ其文意尽サゞル所アルニ依ル」23大本営は陸海軍参謀本....

武官の人事評価に関する歴史的研究25ハ軍功ノ審査ト相待テ之ヲ為シ,大本営ニ隷属スルモノト等シク総テ同一様ニ軍事内局長ニ於テ之レカ親裁ヲ仰クノ趣旨ナリシモ其文意尽サゞル所アルニ依ル」23大本営は陸海軍参謀本部,軍令部により構成され,それぞれの連携はなかった。陸海軍本省と参謀本部は常に人事交流があり,本稿でいう広義の軍事内局とは本省と参謀本部双方である。図1に示した軍事内局とは,軍が自称する大本営の官僚機関を指す狭義の内局である。軍事内局は大臣,内閣から独立し,陸海軍統帥部事務局である。内局は大本営設置時における武功調査時において表に出る。ただし実態としての内局は陸海軍本省と参謀本部,軍令部官僚組織である。したがって真の軍事内局とは陸海軍次官以下の組織であり,人事,予算,戦略,作戦の全てに渉る原案を作成する事務局であった24。金鵄勲章制定後における最初の大きな戦役は日清戦争であり,大本営が最初に設置された。その時に制定された金鵄勲章叙賜規定において内局なる機関が表に出る。ただし内局が仕切ることになった武功調査による最初の金鵄勲章叙勲者は日清戦争では多くなかった。同戦役の戦死者は病死が過半であった。大量の戦死者と叙勲者を出したのは日露戦争であった25。明治27年,金鵄勲章年金令が公布され,勲一等旭日桐花大綬章の受章者のうち,特に顕著な功績を挙げた者にも1,500円の終身年金を支給することとした26。表10に示すように,明治28年の金鵄勲章叙賜規則では戦死者への授与規則が定められた。殊勲甲親任官(一等官)と判任官(八・九等官)では5倍から10倍の格差があった。23 海軍省「海軍大臣西郷従道上奏書」千代田上奏書 防衛省防衛研究所史料所収。但し,同史料には明治28年7月の日付が記載されているが,明治27年の誤りであろう。24 モルトケ時代のドイツ参謀本部の内局は陸軍人事部中心であり,参謀本部は諮問機関であって内局が実権を有した時期があった,とされている。25 日露戦争に伴う金鵄勲章叙勲者は,陸軍関係だけとってみても102,456名と日清戦争時に比べて激増した。内訳は功一級11名,功二級60名,功三級320名,功四級1,261名であった。以下の様に日露戦役は勲記,巧記とも10倍近く増加した。日清戦争・勲記196名,巧記1248名,日露戦争・勲記1,656名,勲記9,930名。勲記は頸飾,菊花,桐花,旭一~三,瑞宝章一~三までの九級,功記は一級から五級まで26 昭和16年までは勲章には年金が伴っていた。