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28 高知論叢 第106号5.武官の職制と考課(1)武官の考課表事例叙勲は官制と連動したが,必ずしも上級将官が金鵄勲受賞者ばかりではなかった。武官進級は勲章制度とは原則的に切り離されていた。叙勲は進級にとっ....

28 高知論叢 第106号5.武官の職制と考課(1)武官の考課表事例叙勲は官制と連動したが,必ずしも上級将官が金鵄勲受賞者ばかりではなかった。武官進級は勲章制度とは原則的に切り離されていた。叙勲は進級にとって必須ではなく,将官でも金鵄勲章を授与されていない者も少なくない。武官の官位格付けと進級は,陸海軍士官・兵学校,大卒などの学歴と当該官位の停年,考課を加味したものであった。ただし,定員,実員に制限を受けたことは言うまでもない。進級資格があっても定員が空かないと進級できず,昭和初年以降の進級は滞った。武官進級も以下に述べるように,親任官,将官のみならず下士官も天皇の大権事項であった。文官に先んじて,武官の職制と進級,考課は明治初年に制度化されたが,その要因は武官の職務の特殊性,緊急性によるところが大きかった。明治2年以降,海軍操練所,海軍兵学寮が設置され,明治9年に海軍兵学校,明治7年には陸軍士官学校が開校した。鎮台設置,徴兵令施行による大量の兵士任用によって階級と進級制度の確立が緊要となり,軍は人事考課の導入を図った。軍は海外の考課表の研究も行ったが28,あくまで日本独自の考課であった。明治8年,陸軍は軍人考課に関して以下のような達を出した。「考課表慨旨,陸軍武官考課表並其概旨別冊之通相定候此旨相違候事,但会計軍需馬医部並文官ノ儀ハ追テ可相達候事」29 とあり,以下,「第一条,考課表ハ各官庁諸隊ニ在リテ伍長以上ノ学芸性行ヲ熟察検知シ之ヲ記載スルノ表ニシテ以テ考課ノ用ニ供スル者トス」第二条には考課を一年に2回行い,各科目ごとに,上上,上中,上下,中上,中中,中下,下上,下中,下下の9段階に評価するとされた。将官部は官庁次官が記し,下士官の部は佐官・尉官より考課者を選任し,それぞ28 陸軍省が翻訳刊行した「墺国軍隊規則」にはオーストリアの軍隊規則として以下の項目があった。1年志願兵教育及勤務に関する報告例として,1.言語,動作 2.徒歩,教練 3.乗馬教練 4.繋駕教練 5.勤務 以上の項目を挙げたが,多様な言語が存在する国柄から言語が重視されたことを特記している。陸軍省「墺国軍隊規則」1899年29 陸達第23号明治8年7月25日