106号

106号 page 45/110

電子ブックを開く

このページは 106号 の電子ブックに掲載されている45ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
武官の人事評価に関する歴史的研究43尉の進級の実態は9年~10年,大尉は8年~10年という状況であった。最後の陸軍人事局長であった額田坦は,進級停滞の最も主要な要因は,定員制によるものであると考えていた。陸....

武官の人事評価に関する歴史的研究43尉の進級の実態は9年~10年,大尉は8年~10年という状況であった。最後の陸軍人事局長であった額田坦は,進級停滞の最も主要な要因は,定員制によるものであると考えていた。陸軍の昭和10年における将官の予算上の定員は大将13人,中将57人,少将131人であり,この数が人事計画上,進級,退職数の基準であったと額田坦は述べている60。確かに,大戦末期における将官の実役停年は規定より大幅に伸び,昇進が遅れる事が当たり前となっていた。その主要な要因は定員の制限というより,戦線拡大により佐官以下が激増したことによるものであったと言うべきであろう。陸海軍とも定員令があったが,補欠人員をおくことができるために,下士官の充足には支障がなかった。海軍定員表(明治30年)では,第3条 補欠員トシテ艦舶内定員ノ100分ノ20以内ノ人員ヲ置クコトヲ得,とある。昭和17年11月,海軍占領地士官技術科現員定員表61によれば,現員3638人に対して定員は1589人であり,定員の2倍以上の実員を抱えていた。また海軍志願兵は採用者の数倍の水準であり,陸軍同様に定員補充について支障は生じていなかった。陸海軍は予算要求に絡み,将官の整理を行う一方で,常に要員,士官の不足を上奏し,増員要求を行った。昭和11年の記録によれば,尉官代用が増加し,必要要員に対し800名が,士官は1,000名が不足であると海軍大臣は発言した62。60 同上書46頁61 海軍省「海軍省人事局長申継綴」昭和17年防衛省防衛研究所史料所収62 海軍省「昭和5年海軍人事局説明草稿」防衛省防衛研究所史料所収表14 海軍兵員採用状況(昭和16年)(人)志願者採用者昭和8年64,890 7,534  10年55,605 7,165  12年56,540 8,924  14年48,901 11,480  15年50,869 15,963  16年63,016 26,692「海軍省人事局綴」防衛省防衛研究所史料