106号

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46 高知論叢 第106号用する際の矛盾でもあった。以上に示した武官の職能資格的人事評価の枠組みは,最終的には天皇親裁によって決定されるものであった。次節にそれを示そう。6.人事大権のシステム(1)人事親裁....

46 高知論叢 第106号用する際の矛盾でもあった。以上に示した武官の職能資格的人事評価の枠組みは,最終的には天皇親裁によって決定されるものであった。次節にそれを示そう。6.人事大権のシステム(1)人事親裁のシステム天皇大権の中で文武官人事は,憲法第10条,第11条による最も基本的な大権であり,親裁が憲法の原則である。統帥に殊の外熱心に取り組んだ明治天皇は,1,000名を超える陸海軍高官名を記憶したといわれる伝説は強ち嘘ではなかろう。特に軍に関する上奏は明治初年から帷幄上奏63とされ,文官が関与できない聖域であった。人事大権に関する天皇親裁の文書書式は公文令,公式令によって厳格に定まっていた。明治以降高官(特に陸海軍)の人事は,天皇の内意を事前に伺う内々奏を行って,“天機”が悪くない事が確認できたなら内奏され,しかる後に,奏上,裁可に至った。階級別人事の上奏,裁可の実態と運用に関する,陸海軍高等官人事の親裁システムを図6に示した。従来天皇は,政務,軍務,人事に関して百官に委任し裁可するだけの存在とみなされてきたが,事実は異なる。特に親任官と近衛兵,侍従武官等の重要人事については,内々奏をして天皇の意向を聞いた後,内奏を経て最終的に上奏,裁可される。いずれの文武官の人事に関しても,天皇への上奏,裁可の後辞令書が渡されるが形式的なものではなく,実質的に人事大権を行使してきた。昭和天皇の場合,張作霖爆殺事件時における田中義一首相への叱責と辞任要求,2・26事件後の大将以下の粛清は天皇の意向を受けた人事であった64。特に天皇63 帷幄上奏という語自体が中国由来の物語である。中国歴代王朝では,兵権は政務の官吏が関与できない皇帝の聖域とされた。『史記・高祖本紀』によると「夫運?帷幄之中,決勝千里之外,吾不如子房」劉邦は,帷や幄をめぐらした中にいて作戦をたて,千里の外の敵を破る事は,吾子房に及ばずと述べた。ここから「夫運?帷幄之中」という物語が好んで使われるようになり,謀議する意に広く使うようになった。64 本庄繁「二十日朝松平宮相ヨリ,取扱錯誤ノ御詫ト共ニ,改メテ新武官長トシテ,宇