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武官の人事評価に関する歴史的研究47が統帥権者としてその実力を軍内外に示した事件は2・26事件であった。大将に留まらず侍従武官長,事件への関与が疑われた山下少将などは謁見が許されず,内局に戻ることはなかっ....

武官の人事評価に関する歴史的研究47が統帥権者としてその実力を軍内外に示した事件は2・26事件であった。大将に留まらず侍従武官長,事件への関与が疑われた山下少将などは謁見が許されず,内局に戻ることはなかった。2・26事件の責任問題は将校の処分に留まらず,参謀本部と近衛聯隊の廃止までも天皇に伺いを立てた。就中当事者の部局である近衛聯隊の再編について,3 月17日,陸軍大臣,参謀総長が連名上奏し,未曽有の不祥事への粛軍を約すと,天皇は「ソレデ宜シイ,尚ホ,将来ヲ戒シメル様ニセヨ」65 と述べたと伝えられている。この決着は統帥者としての実力を示した事件であり,すでに統帥権者としての昭和天皇の権威は明治天皇を凌駕していたと考えられる。親任官と近衛兵だけではなく,重要な軍人事に関しては,上奏の前に,内奏,さらに内奏の前に内々奏が行われ,天皇の内意が確認された後に上奏される。重要人事の場合には内々奏の前に上聞がある66。一旦上奏されると裁可されるのが普通であるが,上奏を裁可されない事例があったことが,『侍従武官長奈良武次日記』に記されている。上奏,裁可の形式のみに着目すれば,あたかも天皇は百官の意のままの存在に見えるが実態は違っていた。天皇は衆議に従う形式的な象徴ではなく,高官からの上奏に対して常に自らが判断をして裁可していた。また統帥部も天皇への上奏,裁可を儀式的なものと見なしてはいなかった。上奏,御下問に際して,統帥部は天皇からのあらゆる質問を想定して御下問案を準備したことが「上奏時御下問綴」67 に記されている。高官人事などの重要事項については上奏の前に内奏,内々奏によって天皇の意を確かめ,しかる後に上奏した。特に武官親任官や武官側近人事については侍従武官を通じて内々奏が行われていたことが『侍従武官長奈良武次日記』に佐美中将ヲ内々奏シ,御許シヲ得,此日午後二時,陸軍大臣参内,事変責任者タル近衛,第一両師団長以下,各引責者ノ人事内奏ヲ為ス」『本庄日記』原書房昭和50年11月298頁65 同上書291頁66 教育総監人事は内奏の前に上聞(奏聞)される事が普通であった。『侍従武官長奈良武次日記』184頁67 陸軍参謀本部第二十班「自昭和十五年十一月至昭和十六年十一月 参謀総長上奏時御下問奉答綴」防衛省防衛研究所史料所収 但し別稿に譲るが,「同綴」は当日の奏上を正確に記録した文書ではなく,第二十班が後日公開されることを前提にして,上奏時の記録を加筆,修正した可能性が高い。