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武官の人事評価に関する歴史的研究3た位階は,時代によって形を変えて存続し,明治期において近代の日本の位階制は完成した。中国歴代王朝で,科挙に合格し貢士に登用されると,等級が定められた。科挙は文武官ごと....

武官の人事評価に関する歴史的研究3た位階は,時代によって形を変えて存続し,明治期において近代の日本の位階制は完成した。中国歴代王朝で,科挙に合格し貢士に登用されると,等級が定められた。科挙は文武官ごとに行われた。武科挙,文科挙はそれぞれ地方で試験が行なわれ,文官の場合,最終的に合格した者を武進士と呼んだ。試験の内容は武闘試験と筆記試験が課された。科挙は考課と一体であり,考課の優秀なものが位階を上げて出世した。日本の朝廷は中国の王朝の位階制,考課と宮廷祭祀を模倣したが,科挙をそのままの形では導入しなかった。科挙を範とするには,日本人にとって筆記試験は難解であった。科挙という語は科目による選抜を意味する。日本の考科令は,大陸由来の科挙を模した制度であったが,律令制から千年以上を経てその痕跡は今や見られない。日本の文武官の考課制度は,天武天皇の時代に始まったとされる。飛鳥浄御原令では毎年の考課の結果によって叙位された。大宝令の考仕令では身分に基づいて考課の成果を叙位に反映させる方式であった。考課の対象になる官人は四つの集団に分けられた。考課の対象になるには,1年間のうちに一定の勤務日数を必要とした。四位・五位は太政官で審議の後に裁可を仰ぎ,三位以上は勅裁によって決められた。昇叙の場合には全て上奏と裁可を必要としていた。このやり方は明治以降においても継承され,天皇が最終決済を与える人事が粛々と執行されてきた。以下は律令考科令における考課の一例である。養老律令,考科令では,考課の対象者は出勤した日数を総計して240日以上の常勤者であり,それ以下の者は考課の対象としなかった。考課の項目例は以下のようなものである。徳義が名高いか否か,清潔謹慎,公平,勤めに力を尽くし怠らぬか,庶務は滞りないか,人物の選考,才能の抜擢,武官の選考,兵制を尽くす,などである。最高の項目が4項あれば,上上とし,以下考課によって,上中,上下,中上,中中,下上,下中,下々とし,下下の考課者は解任した。いずれも奏聞,上奏によって裁可された。官位相当表を表1に示した。養老令官制の官位相当表は正従八位上下まで32等級,大初位,少初位上下を含めると36官位に区分され,その骨子は明治太政