106号

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50 高知論叢 第106号以下は制度化された任用事例と人事上奏事例である。親任官任用の場合の形式は,親任式が行われる任命辞令書は特別である。親任官の辞令書には御璽だけではなく,天皇による親署と内閣総理大臣が....

50 高知論叢 第106号以下は制度化された任用事例と人事上奏事例である。親任官任用の場合の形式は,親任式が行われる任命辞令書は特別である。親任官の辞令書には御璽だけではなく,天皇による親署と内閣総理大臣が副署した辞令書が,親臨のもとで内閣総理大臣から渡される。その際親臨によって親任式を行う場合と,簡略化して行わない場合があった。勅任官の場合は御璽と内閣総理大臣によって署名され,奏任官の場合は内閣印のみを附す。以上の武官人事の進級,昇進への選考には内閣総理大臣は全く関与しないにも拘わらず,親任官人事には内閣総理大臣が副署を行い,勅任官,奏任官人事に関しても,内閣印が附され,手続き上は文武官人事に違いはない。しかし,武官人事に関して内閣総理大臣の副署や印を要するが,文官は,内閣総理大臣,内大臣といえども武官人事には全く関与する事がなかった。内閣総理大臣の副署や押印は形式的なものであり,軍令同様に人事も独立していたとみなすことができる。公文式(明治19年)では,勅令は閣議を経て後,全て内閣総理大臣から天皇に,上奏,裁可された後,内閣総理大臣の副署を要した。明治22年に改正された公文式では,省の専任事務に属する勅令の裁可については主任大臣の副署だけでよく,内閣総理大臣の副署は要しないことになった。一般行政事務に関わる勅令には内閣総理大臣と主任大臣がともに副署するとした。ただし,軍の勅令は,内閣制度成立前からの慣例に則り,公文式に捉われず,閣議を経ず陸海軍大臣が上奏したものが裁可され,陸軍大臣が副署する事により成立していた。ところが,明治40年,公文式から公式令(明治40年勅令第6号)に改正され,勅令などあらゆる上奏事項は内閣総理大臣の副署が必要となった。公式令では以下のように記されている。第七条 勅令ハ上諭ヲ附シテ之ヲ公布ス 2 前項ノ上諭ニハ親署ノ後御璽ヲ鈐シ内閣総理大臣年月日ヲ記入シ之ニ副署シ又ハ他ノ国務各大臣若ハ主任ノ国務大臣ト倶ニ之ニ副署ス 以上の様に帷幄上奏による勅令を含む全ての勅令に,内閣総理大臣の副署を要することになったため,軍は従た」同上書129頁,「私は外相には重光がといと思った」,小磯内閣成立の時「陸相推薦の為,陸軍三長官会議を開いた。梅津が山下,阿南を推薦した」東条は山下に反対して自分が留任した。(『独白録』では東条が山下奉文の陸軍大臣への就任に強く反対して自ら就任したとされているが,天皇の意を汲んでのことだった可能性が強い)同上書131頁