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武官の人事評価に関する歴史的研究57よっても制限を受けており,士官学校,兵学校の同期でも大将に就任した人物は稀であった。大将は親任官の中でも,内閣総理大臣や枢密院議長と同じ格付けであった。中将から大将へ....

武官の人事評価に関する歴史的研究57よっても制限を受けており,士官学校,兵学校の同期でも大将に就任した人物は稀であった。大将は親任官の中でも,内閣総理大臣や枢密院議長と同じ格付けであった。中将から大将への進級は陸軍武官進級令に依り,同令第10条には「中将ヲ大将ニ進級セシムルニハ歴戦者又ハ枢要ナル軍務ノ経歴ヲ有スル者ニシテ功績特ニ顕著ナル者ノ中ヨリ特旨ヲ以テ親任スルモノトス」とある。初期の武官進級令では大将への進級条件が,“歴戦における功績顕著な者”であったが,明治39年にはこれに“枢要ナル軍務ノ経歴”が加えられた。図9,10は陸軍士官学校,陸軍大学校期別卒業生数と大将,将官への進級者を示した。士官学校同期の中で大将昇進者は,旧9期(明治20年卒)から第8期(明治29年卒)には2パーセント以下になり,明治30年卒業以降は1パーセント未満となる。その要因の一つは,ポストの増加が士官数の増加に対応しなかったためである。士官学校定員が増加する明治30年以降,更に大将への昇進は狭き門になっている。陸軍大学校修了生の中で将官への昇進者は概ね60パーセントから80パーセントの高い水準であるが,そのうち大将昇進者は数名であった。大将の定員は限られており,各年度修了生の数名が大将に進級したに過ぎない。図11に示した海軍兵学校修了者の中における将官への昇進は数十パーセントの年もあるが,大将への昇進は陸軍と同様に,当該年度修了生の数名が進級したに過ぎず,時代を下るにつれて進級割合はより減少した。表15・16は陸海軍大将一覧である。それぞれ士官,陸海軍大学校卒業年次,各卒業年における首席者の最高階級,出身県,身分,歴任,内部,政府枢要職歴を付してあり,下段に集計を記した。下記は出身別の集計である。草創期における陸軍大将39人の内訳,出身県は多い順に,山口県10人,鹿児島県8人,皇族5人,長野県3人,福岡県2人の順である。旧期における陸軍大将は26人であり,その内訳は福岡県4人,山口県3人,鹿児島県2人,皇族2人,海外陸大の順である。海軍大将は草創期8名であり,内訳は鹿児島県7人と圧倒的に多く,その他