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武官の人事評価に関する歴史的研究52.幕藩期の位階と士族幕藩体制以前の武家が取得した官位は,個々の武士が任官または自称した官位であったが,徳川幕府は武家官位を定員外とすることで,公家官位から武家を排除....

武官の人事評価に関する歴史的研究52.幕藩期の位階と士族幕藩体制以前の武家が取得した官位は,個々の武士が任官または自称した官位であったが,徳川幕府は武家官位を定員外とすることで,公家官位から武家を排除しようとした。官位は朝廷の専決事項であったが,武家の成長,朝廷の衰退によって,中世以降,武士が,自ら守などの官職を名乗っていた。朝廷からの任命を受けないまま官名を自称する場合が増加した。武家の官位を,員外官とすることで,朝廷の官位から分離しようとしたものが禁中並公家諸法度であった。禁中並公家諸法度では,「第七条 武家官位 一武家之官位者,可爲公家當官之外事」とある。幕府は,武家の官位を外官として,公家の官位を武家が奪うことの弊害をなくした。幕府は,諸藩が勝手に朝廷から官位を得ることを禁じて,朝廷の官位を保護すると同時に諸藩を規制した。幕府の意図は,武家社会と公卿の身分秩序を間接的に統御することにあった。一方で幕府も朝廷の官位を得る事によって将軍位を得た様に幕府の官制は朝廷の官位を前提としたものであった。各藩主や幕府要職の大名は,朝廷から個別に官位を得ることは出来なかった。藩政時代の官位制は朝廷の位階制に取って代わるものではなかった。将軍後継者は,若くして従二位大納言にはじまり,将軍になると正二位内大臣,従一位右大臣,従一位左大臣と昇格する。大納言と中納言は御三家でなければ任官できないので,御三家以外の大名のトップは参議であった。老中,京都所司代などの要職を恙なく務めれば官位は昇格した。例えば,尾張徳川家などの御三家の例では,初任が従三位中将であり,家督相続前に参議,家督時に従三位中納言,極官は従二位大納言となった。藩主が官位を得ても四位に昇進するためには数十年を要した。親藩,譜代大名,外様大名によって初任と昇進が異なった。10万石以上の藩主でも,多くの場合,家督相続すると従五位下から出発するが,加賀,薩摩などの大藩の場合は初任従四位下侍従,従四位下少将,正四位上中将と昇進する。従って,従五位下無官から従四位下無官のままで終わり,侍従に昇進できない大名も多かった。