106号

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68 高知論叢 第106号出身者が士官となる明治後半年以降,藩閥の流れが急速に薄まっていくこともまた,進級の自然な流れであった。明治期陸軍の中心は,旧長州出身の山県有朋であること....

68 高知論叢 第106号出身者が士官となる明治後半年以降,藩閥の流れが急速に薄まっていくこともまた,進級の自然な流れであった。明治期陸軍の中心は,旧長州出身の山県有朋であることは衆目の一致するところである。明治5年の山城屋疑獄事件による失脚を経て復活した山県有朋は,陸軍の実権を回復し,西郷従道をリーダーとする海軍とともに,文官が関与する事を許さぬ統帥権独立を実現させた。 彼ら軍高官に支えられ,大元帥としての天皇の位置付けは,陸海軍官僚体制の中において確固としたものであった。その溶接役は,皮肉にも文官が作った侍従武官府であった。侍従武官府の支えによって,統帥者としての天皇の権威は,いくつかの事変を経て強化される。表17 初期陸海軍大将出身県上位者数(人)陸軍草創期出身別陸軍大将数山口10鹿児島8皇族5長野3福岡2その他11合計39陸軍旧期出身別陸軍大将数福岡4山口3鹿児島2皇族3その他15合計26海軍草創期出身別海軍大将数鹿児島7石川1合計8注)『陸海軍将軍人事総覧』等より作成。