106号

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武官の人事評価に関する歴史的研究69第1に竹橋事件であった。明治11年,竹橋付近に駐屯していた陸軍の近衛兵部隊が起こした武装反乱事件は,いち早く鎮圧し天皇を支えた陸軍の評価を高めた一方で,大隈重信筆頭参議....

武官の人事評価に関する歴史的研究69第1に竹橋事件であった。明治11年,竹橋付近に駐屯していた陸軍の近衛兵部隊が起こした武装反乱事件は,いち早く鎮圧し天皇を支えた陸軍の評価を高めた一方で,大隈重信筆頭参議を中心とする文官は,宮城への参内が遅れ,彼らの信任は大幅に失墜した78。第2に,四将軍上奏と中正党事件を経て陸軍反主流派の将官は軍中枢から一掃された。それとともに親政派の影響力は低下したが,天皇と軍との関係はシステム化され,統帥者としての権威はかえって強化された。第3に,日清戦争から満州事変までの連戦連勝が不敗神話を生み,天皇の権威を高め,明治大帝に関する多くの伝説が昭和まで語りつがれた。第4に,2・26事件後における昭和天皇が果たした指導的役割は,改めて天皇の権力を軍内外に与えるものであった。反乱軍に近い将官の大半は軍主流から一掃され,建軍以来初めて参謀本部,近衛兵の廃止案さえも伺いをたてた。一方で,軍の派閥の役割を過大評価する見解がある。昭和の軍閥と言われてきた存在,例えば陸軍の桜会,皇道派,統制派,海軍における艦隊派,条約派などその抗争が軍を暴走させたとする見解である。それに関連する旧軍人の著作も数多く,様々な派閥抗争の弊害を主張しているが79,いずれも主観的な見解である。陸海軍の派閥が統帥権や人事大権を侵害した事実はありえず,天皇は軍の派閥力学を常に考慮して人事大権を行使していた事が,本稿で引用した資料からも明らかである。大将人事に関して最も大きな事件は2・26事件後における粛軍であった。林銑十郎,真崎甚三郎,阿部信行,荒木貞夫,川島義之の5人の大将が予備役に編入された。本庄繁はこの時の粛清を次のように述べている。「事件ノ犠牲トハ云ヘ,悲痛ノ感ナキ能ハズ,実ニ前述ノ如ク,陸相ガ粛軍徹底ノ興奮的空気ニ煽ラレ,陸軍人事行政ノ中心ヲ失ヒ,大臣,次官等ハ只,佐官級ノ進言ニ押サ78 竹橋事件の処理に関する侍従の記録「主上ハ参議参内ノ遅緩ヲ大ニ御逆鱗被遊サレシトノ事宮内へ第一ニ駆付タルハ吉井、山田ノ二人ノミ大隈公ハ翌日御前ニ於テ宣告文ヲ読ムニ声こえ顫ふるえキ読了ス能ハス」米田虎雄(侍従)の内話,朝比奈元成大隈文書(早稲田学所蔵)」明治11年10月 侍従米田虎雄「明治天皇及び大臣参議に関する聞き書き」79 田中隆吉『敗因を衝く-軍閥専横の実相』山水社昭和21年、『日本軍閥暗闘史』昭和22年 静和堂書店 吉田俊雄『四人の軍令部総長』など