106号

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72 高知論叢 第106号合する他の優秀な将官との比較を行い,大将進級人事を提案した。その後長沢中将と飯田中将は中将で退役し,大将に進級しなかった。この日の進級会議が彼ら中将の進路を決定するものであった。大....

72 高知論叢 第106号合する他の優秀な将官との比較を行い,大将進級人事を提案した。その後長沢中将と飯田中将は中将で退役し,大将に進級しなかった。この日の進級会議が彼ら中将の進路を決定するものであった。大将進級への上奏は,本省人事局の原案が大きな意味を持った事を以上の文書が物語っている。但し,大将人事は内局に人事の実権があったと述べるつもりはない。人事大権の発動は,高官の衆議に沿い,かつ,天皇の内意と上奏,裁可によるものであったことは言うまでもない。衆議徴集による決定過程は,人事にとどまらず,他の統帥事項に関しても同様であったと考えて差し支えない。結武官評価は階級に集約されるが,位階,勲功は人事評価を補完するものであった。日本ほど社会の隅々まで身分秩序が浸透していた国は稀であった。ただし日本の身分秩序は,出自と評価,権力闘争の結果として歴史的に形成されたものであった。明治以降,官吏の人事評価のあり方はまず武官に始まり,文官にも適用され,一般社会にも影響を及ぼした。人事評価による武官の階級制度は過去の敗戦を経て,日本の異胎と見なしても言い過ぎでないような扱いがなされてきた。しかし,決して特異なものではなく,日本の社会風土そのものに根ざしたものであった。明治政府は陸軍を嚆矢として考課をはじめた。陸軍はフランス,プロイセン,オーストリアら外国の考課の事例を研究したが,軍がまず考課をはじめた所以は,軍制と軍規,軍律,昇進,昇格に合理的根拠を得ることにあった。以後,日本の軍人の人事考課は西洋諸国にも例がないほど精緻なものとなった。叙勲が甚だしい官尊民卑であると世論から批判された所以は,これが官吏位階制の遺物であったからに他ならない。人事大権は天皇大権の中でも最も基本的な大権であるが,極東軍事裁判以後の通説では,天皇は衆議に従うだけの存在であるとされてきた。しかし,日本の文武官の人事,特に将官の人事は,聖徳伝説を有する天皇の大権抜きには存