高知論叢107号

高知論叢107号 page 103/180

電子ブックを開く

このページは 高知論叢107号 の電子ブックに掲載されている103ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究72              一 天皇の命令文書、口頭宣布。『続日本紀』中の文武天皇以降における宣明は言霊による儀式であった。二 「籌策帷幄中 決勝千里外 ....

日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究72              一 天皇の命令文書、口頭宣布。『続日本紀』中の文武天皇以降における宣明は言霊による儀式であった。二 「籌策帷幄中 決勝千里外 子房功也」『史記列傳』三 明治大帝(睦仁)が日露戦時において、世界平和を祈って詠ったと伝えられていた「四方の海」の詩を、昭和天皇(裕仁)が、昭和一六年九月六日の御前会議において引用したと伝えられている。日米開戦を決定したこの日の御前会議において、昭和天皇からの質問に何も答えられなかった統帥部を叱責した後、明治天皇御製「四方の海」を昭和天皇が浪々と詠じ、平和を希求して天の声を発したとする逸話。四 「海軍ヨリ侍従武官長ヲ撰出スルコトハ、規則上何等差支ナキモ、多年ノ慣例モアリ、仕事ノ量モ、陸軍ノ海軍ニ比シ、多キ等ノ関係モアリ、陸軍側ニ於テ難色アルベシト奉答(昭和天皇に・筆者)ス」『本庄日記』原書房昭和四十二年二月二九七頁、一九三六年(昭和十一年)二月二十六日事件の引責辞任での本庄繁の発言、本庄の後任について、本庄は事件直後であるので、軍の推挙ではなく内大臣に任せてはと述べたが、天皇は次のように述べた。「内山侍従武官長更迭ノ際ニハ、後任者ヲ宮内大臣ヲ経由シテ申出デ、奈良侍従武官長交迭ノ際ニハ、後任者ヲ武官長ヲ経由シテ申出デタリ。併シ、奈良武官長ノ交迭ハ、円満退職ニシテ、今回ノ本庄ノ辞職トハ、聊カ趣ヲ異ニス、ト仰セラル」本庄同上書二九八頁 この時の人事の経由、任せることを、「内内奏」と称している。宮内大臣が軍政に関與することはありえないので、同日陸軍人事局長が第一候補者(香月中将)、第二候補者(宇佐美中将)の名簿を本庄に提出した。五 「第十二条天皇ハ陸海軍ノ編成及常備兵額ヲ定ム 本条ハ陸海軍ノ編成及常備兵額モ天皇ノ親裁スル所ナルコトヲ示ス 此レ固ヨリ責任大臣ノ輔翼ニ依ルト雖亦帷幄ノ軍令ト均ク至尊ノ大権ニ属スヘクシテ而シテ議会ノ干渉ヲ煩タサルヘキナリ 所謂編制ノ大権ハ之ヲ細言スレハ軍隊艦隊ノ編成及管区方面ヨリ兵器ノ備用、給与、軍人の教育、検閲、紀律、礼式、服制、衛戍、城塞及海防、守港並ニ出師準備ノ類、皆其中ニ在ルナリ 常備兵額ヲ定ムト謂フトキハ毎年ノ徴員ヲ定ムルコト亦其中ニ在ルナリ」 伊藤博文 『帝国憲法義解』 国家学会 一八八九年四月 二九頁六 特命検閲とは、監軍部、教育総監から派遣された特命検閲使が、定期的に上奏し裁可を仰ぐ必須の統帥事項であり、恒例検閲、定例検閲とも称された。陸軍への検閲は、師団、官衙、学校、工廠など団体毎における軍紀の張弛、服務の能否、教育の精粗、保育の良否、法規実施の程度、動員計画の完否、会計、経理、兵器、材料等が検閲された。海軍では陸軍同様の事項の外に、艦船部隊、船体、兵器、機関、軍需品、諸営造物保存等が検閲された。それ故に監軍部が天皇の下に独立するか否かが、憲法設置前において、宮中親政派との紛議となった。七 明治二十年山縣有朋は自ら監軍となり、それまで宮中主導であった総監府を陸軍主導で再建した。明治三一年勅令第七号 「教育総監部条例」「第一二条 各兵監ハ陸軍軍隊検閲条例ニ依リ臨時ニ当該兵隊ノ検閲ヲ行フ」とある。八 「日清日露前後上奏書類」防衛省防衛研究所戦史研究センター史料室(千代田史料)