高知論叢107号

高知論叢107号 page 104/180

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71 高知論叢 第107号明治以来の日本の「国体」を支えた主たる担い手は文武官達であった。日本の忠臣は、たとえ一身を犠牲にしても、あくまで「国体」を護持すべく万策を尽くした。文武官、各部局の対立は、常に天皇....

71 高知論叢 第107号明治以来の日本の「国体」を支えた主たる担い手は文武官達であった。日本の忠臣は、たとえ一身を犠牲にしても、あくまで「国体」を護持すべく万策を尽くした。文武官、各部局の対立は、常に天皇の裁断によって調整されてきた。天皇は統帥者、総攬者であると同時に祭祀者としての役割を果たさせたのは他ならぬ忠臣達であり、そこに「国体」を護持してきた官僚の努力を垣間見る事ができる。「国体」と明治憲法体制の評価には諸説ある。過去の「国体」を国粋主義によるナショナリズムや合理主義という型にはまった歴史観によって理解することはできず、実証によってこそ、日本の「国体」は解明する事が可能である。帷幄上奏からその裁可に至る判断には、経済力、外交、内政に関して総合的な知見が必要である。武官による帷幄上奏は、陸海軍の将官による合議を積み重ねた総意が上奏されることが常であったが、文武官の決定的な対立は聖断によって調整された。無論、親臨による御前会議は上奏、裁可を積み重ねた国家の最高意思決定機関であることは、維新以来変わる事がなかった。統帥権の独立と帷幄上奏は日本を戦争に導いた戦犯に等しい扱いがなされてきた。しかし、色眼鏡をかけず国防と軍の命令系統を検証すると、帷幄上奏と裁可、裁断、聖裁は、宮中の伝統的な儀式の形式に則った、一種の日本的な儀式でもあった。議会、行政府とは別に、朝廷において、内々奏、内奏、帷幄上奏、裁可という粛々とした行事は、決して非公式な朝廷の儀式ではなく、それ自体が「国体」の中で調整された方式であった。しかし、帷幄上奏と裁可、聖断は、敗戦後の国際社会からは、憲政の枠組みからはずれた前近代的な「国体」と見なされた。過去の「国体」はハーバード・ビックスなど西洋的合理主義による歴史観からは理解不能なシステムであったに違いない六四。天神地祇と対話する天皇と皇室神道の存在は、立憲主義とは相容れず、欧米社会の倫理からは前時代的で異様な姿に映じたであろう。しかし、日露戦直後の国際社会からは称賛されたシステムであった。