高知論叢107号

高知論叢107号 page 110/180

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65 高知論叢 第107号るまでは、陸軍省と参謀本部との間は喧嘩の連続でぶっ通された」と部局間対立について率直な見解を述べた。ま....

65 高知論叢 第107号るまでは、陸軍省と参謀本部との間は喧嘩の連続でぶっ通された」と部局間対立について率直な見解を述べた。また石井秋穂は、昭和一六年参謀本部作戦課長服部卓志四郎とのやりとりを詳しく述懐している。石井が南方は諦めよと言うと服部は「陸軍大臣として為すべき唯一の仕事は、連日連夜でも宮中に参内して、対米策戦の御決意を仰ぐよう陛下に上奏することだ。貴様、それを大臣へ具申せよ」六〇と服部は同期の第八課長などにも激しく言った。服部の主張は田中第一部長(田中新一)や辻らに大きな影響を与えた。彼らを称して「極右の人々や軍人中の極一部の人々」と石井は後日批判した。石井秋穂が「熱烈な妥協論者」と評した武藤軍務局長と