高知論叢107号

高知論叢107号 page 112/180

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63 高知論叢 第107号うに、「上奏時御下問奉答綴」の筆書き部分は、有末次班長が、「東條首相の指示を受けた」とされる杉山元参謀総長の口述によって、九月六日の御前会議の模様を筆記したと記されているからである....

63 高知論叢 第107号うに、「上奏時御下問奉答綴」の筆書き部分は、有末次班長が、「東條首相の指示を受けた」とされる杉山元参謀総長の口述によって、九月六日の御前会議の模様を筆記したと記されているからである。(七)「石井秋穂大佐回想録」等の検討1.物語を語った「石井秋穂大佐回想録」石井秋穂は昭和一六年陸軍省軍務局課員となり日米開戦前の政策立案にあたったとされている。石井は同年一〇月、陸軍大佐に昇進したが病気で陸大教官として終戦を迎えた。開戦当時は奏任官であり、開戦の名目や御前会議に至までの原案を親任官に提出する役割を行った。いわば統帥部事務の裏方を務めた。石井秋穂は、平成八年、九五歳で亡くなるまで長命であっただけに、石井の残した日記や回想録や戦後の発言は「開戦秘史」として流布された。戦後、戦犯に問われず生き残った旧参謀本部員は様々な「秘史」を後世に残してきた。その中には一般兵士の目線の証言録もあるが五七、大半は組織批判と自己弁護に終始している。石井秋穂が開戦に向かうシナリオの原案作成に如何に深く関与していたかは、昭和十六年に書いた、資料十九「石井秋穂大佐日誌」によって我々は知ることができる。戦後自ら証言した事も興味深いものがあるが、資料一七、一八「石井秋穂大佐回想録」の天皇に関する事は「物語」のみを語った。石井秋穂は大正一一年陸軍士官学校(三四期)、昭和七年陸軍大学校を卒業した。従って、大正期、摂政時代の天皇が如何に統帥、政治に関わったかについて、全く関与する立場にいない端官であったにも拘わらず、「石井秋穂大佐回想録」では、あたかもすべてを把握しているかの様な回想を戦後に記し、これがあたかも真実かのような世論をつくる事に寄与した。石井秋穂は回想録と題して口述した「石井秋穂大佐回想録」(資料一七・一八)において、昭和十六年九月六日御前会議を物語に脚色した。しかし、以下に引用した石井の言辞「陛下ハ連絡会議決定ノ国策ヲ…空気8 8ヲ醸シ出サレテ実質上、矯正、抑制サレタ」という回想の中にこそ、木戸幸一が作文した、九月六日御前会議の最後の「四方の海伝説」をあたかも天皇が発する空気8 8として作文したことを自