高知論叢107号

高知論叢107号 page 114/180

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61 高知論叢 第107号④意見対立の結果総辞職となったが近衛内閣総辞職の理由や上奏文には自分は全く関知していない。⑤昭和一六年一〇月一八日に組閣の大命を突然拝受した。当時の自分は全く予期していなかった。宮....

61 高知論叢 第107号④意見対立の結果総辞職となったが近衛内閣総辞職の理由や上奏文には自分は全く関知していない。⑤昭和一六年一〇月一八日に組閣の大命を突然拝受した。当時の自分は全く予期していなかった。宮中に参内したとき御下問かと思い、御下問書類を懐中に入れて参内した。⑥組閣に際し陛下から総てを白紙にして施策せよとお沙汰があった。自分は陸相から総理への異動によって国務上の立場が相違したため、軍の主張にとらわれず、外交交渉による打開の望みが少しでもあれば努力を続けるべしとして統帥部を制した。しかし、支那からの撤兵問題は統帥部の空気からみて望みがなく、仏印日本軍撤兵問題によって交渉打開の途を開こうとした。それも統帥部は相当不満であった。⑦一二月二日御前会議において対米英開戦を決定した。開戦手続について御前会議連絡会議で論議された。作戦が漏れないこと、国際条約に基づくこととしたが、国交断絶は外務大臣の責任であり、閣議に報告はなかった。⑧国家意志として故意に宣戦布告を遅らせたとする永野元帥による証言は甚だ迷惑である。宣戦布告を真珠湾攻撃開始前の午前二時前に行うと了解したことは誤解であり、政府はこれを知らなかった。午前三時であれば日曜日の深夜に枢密院諮洵となり、慣例からこれを諒解することはない。以上に引用した「東條英機獄中手記」は、九月六日以降、一二月八日までの開戦経過を獄中で記したものである。突然の首相拝命の経緯、短時間に陸軍大臣から首相に立場が変わり、双方の立場による微妙な変化が機微に亘って記されている。また、宣戦布告の遅れに関する永野元帥(軍令部総長)との対立が語られている。以上は、すでに死刑が決定的な時期であっただけに自身の信念を語ったことは間違いない。多少の自己弁護が含まれてはいるが、全文がほぼ事実であろう。九月六日御前会議における「四方の海」発言が事実であれば、忠臣であり、御前会議の内容を熟知していた東條が非公式なメモにおいて語らなかったはずはない。前述のよ