高知論叢107号

高知論叢107号 page 117/180

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日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究58長の三職を兼任した時期があった。しかし、戦局が厳しくなった時期以降においては、そのような立場の東條でさえも天皇の下に統帥権を確立できず、自らに戦況の大....

日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究58長の三職を兼任した時期があった。しかし、戦局が厳しくなった時期以降においては、そのような立場の東條でさえも天皇の下に統帥権を確立できず、自らに戦況の大局が知らされなかったことを戦後になって悔やんだ。東條英機は極東軍事裁判において、戦争責任を一身に負い、天皇に戦争責任が及ぶことを回避することに努力した。但し、昭和十六年九月六日の御前会議における天皇の発言については、木戸幸一、近衛文麿と違って一言も語っていない。もしこの物語が真実であれば真っ先に東條英機が法廷で語ったであろう。木戸幸一ら文官はすべての戦争責任を統帥部に帰したために、文官が作文した物語を語ることは意に添わなかったはずである。木戸幸一や近衛文麿らの文官は戦争責任を武官にのみ帰する発言を行ったからであろう。東條英機は獄中において最も率直に事実を吐露している手記がある。遺族から寄託された「開戦に関する東條英機大将の獄中手記」五一である。東條英機の手記は、獄中の愛読書であった土井晩翠『晩翠詩抄』岩波文庫中に書き込まれている。獄中手記の一部は佐藤早苗『東條英機 封印された真実』(講談社)に所収されているが、同書には、本稿で引用した九月六日日御前会議手記は未収録である。以下は九月六日御前会議と、その後の首相就任経過を回顧した箇所を翻刻した。「◎第三次近衛内閣総辞職当時ノ実情(当時ノ記憶ヲタヨリトシテ記ス)(一)昭和十六年九月六日御前会議ニ於テ決定セラレタル「帝国々策遂行要綱」ニ於テハ当仏印進駐テ続ク殊ニ南部仏印ニ兵力ヲ移駐スルニ及ヒ情勢ハ急迫ヲツケ居リシ際ニテ今後ノ国策ヲ進タル必要ニ基キタルモノニシテ其決定ハ和戦両様ノ姿勢ニ於テ今後ノ施策ヲ進ムルコトヲ本旨トスル如ク記憶ス(二)近衛首相ノ企画セハ日米巨頭会談モ米側ノ巨ママ否ニ会ヒ果サズ 十月十四.五日頃ノ閣議ノ席上ニ於テ豊田外相五二ト陸相五三トノ間ニ意見ノ対立ヲ見タリ 而シテ其ノ主要点ハ左記ノ如シト記憶ス一.陸相ノ所見トシテハ日米交渉今日迄ノ経過ヲ見ルニ帝国ノ譲歩ヲ重ネ其打開ヲ計ラントスル努力モ米側ハ頭初ノ主張ニ固執シテ譲ラズ