高知論叢107号

高知論叢107号 page 118/180

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57 高知論叢 第107号て、近衛は「然らず、然し若し戦争が更に継続せられ 内外の諸情勢が悪化すれば天皇制に触れて来ると思はれる」五〇と述べたが、戦局は日本にとって絶望的であった。近衛は、敗戦は必至であり、....

57 高知論叢 第107号て、近衛は「然らず、然し若し戦争が更に継続せられ 内外の諸情勢が悪化すれば天皇制に触れて来ると思はれる」五〇と述べたが、戦局は日本にとって絶望的であった。近衛は、敗戦は必至であり、いま戦争をやめれば米国は天皇制に触れてこない。国内からは共産革命の機運が起こると述べて終戦を進言したが、天皇は近衛が極端な悲観主義者であると考えていた。ただし、統帥部から厳しい戦況は天皇に正しく伝えられていなかった。また、開戦後の天皇が冷静に戦局をみるためには、統帥部と天皇はあまりにも一体であった。(六)「東條英機獄中手記」の検討1.「東條英機獄中手記」で記された開戦の経緯東條英機は第二次近衛内閣、第三次近衛内閣の陸軍大臣を務めたあと、現役軍人のまま第四〇代内閣総理大臣に就任した。東條英機を近衛の後任に推挙したのは木戸幸一であったと言われている。天皇は忠臣であった東條を一貫して高く評価していたことが『独白録』でも語られている。東條英機は太平洋戦争の大部分の期間において首相を務め、その間、大東亜会議を主催してアジア外交を主導したことも、天皇が東條を高く評価した点であった。東條内閣は、九月六日御前会議決定の帝国国策遂行要領をいったんは白紙に戻すが、前述のように、統帥部にとっては戦争準備のための時間稼ぎであり、実際は外交交渉は建前に過ぎなかった。東條英機は一時期、行政権の長である首相、軍政の長である陸軍大臣、軍令の長である参謀総資料一五 後年口述筆記された「近衛文麿手記」           (昭和十六年九月六日)