高知論叢107号

高知論叢107号 page 120/180

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55 高知論叢 第107号進める様諭して貰ひ度いとの事であつた。それで私は豫め明治天皇の四方の海の御製を懐中にして、会議に臨み、席上之を読んだ、之も近衛の手記に詳しく出て居る。」四五天皇が言う近衛の手記とは....

55 高知論叢 第107号進める様諭して貰ひ度いとの事であつた。それで私は豫め明治天皇の四方の海の御製を懐中にして、会議に臨み、席上之を読んだ、之も近衛の手記に詳しく出て居る。」四五天皇が言う近衛の手記とは『近衛文麿公手記 最後の御前会議』四六、『近衛文麿公手記 失われた政治』四七であろう。ただし、両手記の元になった草稿日記は、次節に示した、防衛相防衛研究所に残された「近衛文麿手記」四八である。「近衛文麿手記」は二つの部分が合冊されている。大部分は近衛自身が書いた以下の様な日誌メモである。昭和十六年九月六日、七日には以下の様な自筆メモが記されている。九月六日土曜前 九、〇七宮中 后 〇、〇九 発御 東條陸長 后 六、三〇 某方面 田中幹一(宮司々宮ゝ)后 一〇、一八帰御 九月七日 日曜 前 一一、〇六 箱根ヘ行宿以上のメモには、日本標準規格B四(十四行罫)と書かれた罫紙が使われている。いずれの日も時間、宮中などの場所、面会者しか記入していない。同メモには、近衛は御前会議前の午前九時七分に宮中に行き、一二時九分に宮中を後にしたとされているが、御前会議の前に拝謁したとは書いていない。以上に示した近衛日誌のメモ(昭和一六年四月八日から一〇月一六日以外)は明らかに近衛自身の日記帳に書かれた日誌である事に間違いはない。しかし、それ以外の「近衛文麿手記」なるもの(資料一五)は後日出版された手記(『近衛文麿公手記 最後の御前会議』、『近衛文麿公手記 失われた政治』)を執筆するための下書きとして口述筆記させたものであり、手記の当日書かれた手記ではない。資料一五に示した「近衛文麿手記」はB四版原稿用紙稿用紙に書かれており、用紙の書式も異なるが、一日の分量もはるかに長文の手記であり、筆跡から判断しても本人が書いたものではない。先に示した日誌メモとは全く異なる異質な文章である。罫紙に書かれた日誌メモとは異なり、原稿用紙に書かれた手記は、非常に詳細に書かれ、縮小されて「近衛文麿手記」として合冊されている。