高知論叢107号

高知論叢107号 page 121/180

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日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究54木戸「はい」捜査官「天皇はその質問に答えなかったことに対する警告として彼らにどんなことを言いどう命じましたか。」木戸「天皇は統帥部が黙っていたことをお....

日米開戦前の御前会議と帷幄上奏に関する書誌的研究54木戸「はい」捜査官「天皇はその質問に答えなかったことに対する警告として彼らにどんなことを言いどう命じましたか。」木戸「天皇は統帥部が黙っていたことをお叱りになり、彼らの態度はけしからぬと仰せられました。」以上は、ヘンリー・R・サケット捜査官による尋問の中心部分である。その質疑で非常におかしい点は、木戸は御前会議に出席しておらず、質疑において簡単な質問に対しても「陛下が何かおっしゃったかどうかしりません」と検事に回答したにも拘わらず、「四方の海」の発言だけは、出席してメモを取ったものでなければ答えられない様な事を木戸は供述している事である。さらに奇妙な事は、御前会議が一二時に終わったにも拘わらず、「午後一時ごろ」御前会議が中断した際に「四方の海」の話を天皇から木戸が聞いたと検事が理解していた事である。ヘンリー・R・サケットは実際は一二時に終わった御前会議の終了時刻を把握していないにも拘わらず、木戸が天皇に奉じた事(提案した物語)だけを、「承った」としてこの証言を受け入れた。御前会議における天の声は、東京裁判が作り上げた物語であったと言わざるを得ない。我々はその他の高官による同日の御前会議記録を検討しよう。(五)「近衛文麿手記」の検討近衛文麿は昭和一六年七月第三次近衛内閣を組織した。九月六日の御前会議において、「帝国国策遂行要領」を決定した時の総理大臣である。近衛文麿には一九四五年(昭和二〇年)一二月六日に、GHQから逮捕命令が伝えられ、A級戦犯として極東国際軍事裁判で裁かれることが最終的に決定された。巣鴨拘置所に出頭を命じられた最終期限日の一九四五年(昭和二〇年)一二月一六日未明に、荻外荘で青酸カリを服毒して近衛は自殺した。昭和十六年九月六日の物語について天皇は「近衛の手記に書いてある」四四と『独白録』で述べており、天皇は後日まで「四方の海」の物語が、近衛らの作文だと考えていたと思われる。「然し近衛も、五日の晩は一晩考へたらしく翌朝会議の前、木戸の処にやつて来て、私に平和で事を